モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

強盗の後に

11月中旬の、標高2670mの山中である。気温は氷点下近くまで下がっていた。2人組に襲われた後、外に散乱した荷物を整理する気力も湧かず、ぼろぼろのテントの中に入った。寝袋と毛布二枚は無事だった。それでも明け方には霜がおりてくる。フライシートはもは…

強盗に襲われました

11/10深夜、男2人組に寝込みを襲われました。 場所はタムダ湖(Lake Tamda)。ワルザザートから50キロほど北にある、標高2670mの山中にある小さな湖だ。人里から5時間以上離れており、ふつうなら、夜に人が来るはずがない場所である。私は湖畔にテントを張り…

川渡りの少女

◽️旅を始めて3日目。その日は雨だった。谷間に続く道が突然途切れ、目の前を川が横切っていた。増水したせいで道路が冠水しているのだった。流れが速く、ロバは怯えて前に進もうとしない。他に渡れそうな場所がないか川沿いを歩いたが、切り立った崖に阻まれ…

ジュラバ

◽️ モロッコのおじさんがみんな着ている民族衣装・ジュラバ。私は前回の旅でこれを買い、すっかり気に入ってしまった。全身をすっぽり包み込んでくれるから暖かいし、風が強い日にはフードをかぶり、日中の強烈な日差しから身を守ってくれる。不思議なことに…

イミルシル到着

一週間かけてイミルシルに辿り着いた。私にとって四度目のイミルシルだ。 その間、いくつものベルベル人の村を通り過ぎた。どの村もきれいな小川が流れており、ポプラは黄色に染まり、真っ赤なリンゴがたわわに実っている。地面に落ちたリンゴは拾って食べて…

ロバを買う

10/15 フェズに到着した私は、すぐにバスに乗ってミデルトに向かった。ミデルトは標高1500メートルの高原にある人口約4万人の町である。この町で私はロバを手に入れ、旅をスタートさせる。タイミング良く翌日は週1回のスーク(青空市場)が開かれ、家畜の売…

12日出発。ルート変更

ようやく航空券をとった。今月12日関空発、翌朝バルセロナ着。早朝モロッコのフェズに飛ぶ。当初は大西洋側のアガディールでロバを買いアトラスを東に縦走する計画だったが、ロバとともに海抜0メートルから標高2,3千メートルまで上るのは難しそうなの…

またモロッコに行きます

もう一度モロッコに行きます。まだ航空券はとっていませんが、10月ごろを予定しています。期間は半年ほどを予定。はじめにロバを買って、アトラス山脈を横断しながら、ベルベル人の集落を訪ね歩こうと思っています。そして、最後にイハルフやアハマドたち…

砂漠>山?

散歩から帰ってくると、家の前に見慣れぬジープが一台、止まっていた。別にこの辺りで車を見ることは珍しいことではない。キャンプ地で働くサルムの親戚が二日に一回は車で様子を見にくるし、レンタカーに乗った欧米人観光客が道を尋ねるため立ち寄ることも…

いのちの水

砂漠でも遊牧民が生活できるのは、水があるからだ。ここでは雨はめったに降らないが、アトラス山脈などに雨や雪が降ると、長い時間をかけて砂漠の地下水となる。これが彼らの生活を支えている。 井戸はサルムの家から300メートルほど離れた場所にある。屋…

砂漠ツーリズム

私が今回お世話になった一家の主は、サルムという。夜遅く、飛び込みで訪れた私を、快く受け入れてくれた50代後半のベルベル人だ。しかし、サルムは2日目の正午ごろ、ここから10キロほど離れたシェガガ砂丘のキャンプ・サイトに行ってしまった。シェガ…

砂漠の放牧

砂漠の遊牧民の暮らしは、驚くことばかりだった。 例えば、放牧のやり方だ。私がお世話になったサルム家には、約100匹のヤギがいた。家から50メートルほど離れた場所に、石を積んで作った囲いがある。中にはエサとして草が敷かれているが、出入り口に柵…

遊牧民の"家"へ

ヤヤと連絡がとれなくなったため、別の手段をとることにした。私には一つの当てがあった。それは、マアミドについて事前に調べていたとき見つけた、ある夫婦の世界一周ブログだった。その夫婦は、マアミドのホテルで値切りに値切った結果、シェガガ砂丘の1…

最果ての村

ザゴラからマアミドまでの約100キロを、私はタクシーで行くことにした。とはいえ、この二つの町を結ぶ一本道に、車がそう多く走っているわけではない。マアミドから先は町もないから交通量は限られている。この日は朝からザゴラ近郊でスークが立っていた…

一冊の本(in ザゴラ)

北側から遊牧民の家とシェガガ大砂丘を望む。この日は風が強く、砂丘はかすんで見えた その日はテントが揺れる音で目が覚めた。ドアを開けると、外はまだ薄暗かった。冷たく張り詰めた空気を頬に感じた。寝袋に潜り直した。しばらくすると何者かが紙袋を漁っ…

サガロの奥深くへ

イガズンからイグリに続く道のり 「山脈」というと、「緑深い山々」というイメージを持っていた。しかし、モロッコのサガロ山脈は、水気がない、木一つ生えていない荒涼とした土地だった。山というより、砂漠。サガロとは、ベルベル語で「干ばつ」を意味する…

ベルベル人の小さな集落

モロッコには、ピストと呼ばれる未舗装道路が山や砂漠などに存在する。地平線まで細い砂利道がずっと延びている。その先に何かがあるとはとても思えない。だが、あるのだ。それは、ベルベル人の集落に続く道だ。もともと北アフリカの先住民族であるベルベル…

ネコブの日本人

サガロ山脈を抜けて辿り着いたネコブ(Nkob)の周辺も、一面の銀世界が広がっていた。砂漠に近いと聞いていたので、私は最初、そこがネコブだとは信じられなかった。「この町で雪が降ったのは初めてだ」。町で会った誰もがそう口にした。 地面が濡れたネコブ…

50年に一度の大雪

朝、雪が落ちる音で目が覚めた。ドアを開けると、猛吹雪。昨夜は雪など全く無かったというのに、一晩にして、ひざ丈まで積もっている。強風で目も開けていられないほどだ。1月29日。モロッコ南部では50年ぶりの大雪が降った。私はトドラ渓谷から75キ…

ラバとロバ、それから犬の話

ラバとロバ。食糧や水を山の頂上に運ぶための、欠かせない生き物だ。アハマド家が所有するのはラバ1頭とロバ4頭。1頭でも死ぬと、生活への大きな打撃となる。1頭の値段は1000DH(約1万2千円)前後。それは彼らの全財産に匹敵する。 最も重要なの…

季節ごとの移動

ある日の放牧で、昔ノマドが住んでいた場所を通りかかった。崩れた岩がごろごろ転がっている。家畜の糞も見当たらないことから、かなり昔のテント跡らしい。イハルフは中に入っていくと、「俺たちは昔、ここで暮らしていた」と言った。 「アハマドがまだ強か…

放牧の風景

遊牧民との暮らしは、透明感に満ちていた。標高1850メートルの頂上付近にあるここでは、流れる雲と広大な青空を我がものにできる。中でも放牧の風景は美しい。私たち以外には誰もいない岩山を尾根伝いにゆっくりと歩く。お昼になると、お茶をつくり、パ…

物を大切にする

ノマドは物を大切にする。最たるものは水の扱い方だろう。たとえば、観光客が10人登ってきて、お茶を飲んでいったとき。彼らが帰ると、アハマドは10個のグラスを並べ、一つのグラスに2センチほどの水を入れてゆすぐ。その水はそのまま、次のグラスへ移…

山羊の解体

今日は山羊を解体してもらう。正午ごろ、日本人観光客が7人、山を登ってきた。前日、ティスギ村まで下りたとき、典子さんの宿に泊まっていた人たちを私が誘ったのだ。 山羊の解体に立ち会うのは、今回が2回目。1回目はタムタトゥーシュ村の別のノマド宅で…

羊のスーク

トドラ渓谷から約20キロ離れたティネリールでは、毎週木曜と土曜日にヒツジやヤギのスーク(市)が開かれる。トドラ渓谷のノマドたちは、金が必要になるとスークに行き、ヒツジやヤギを売っていくばくかの金を得る。しかし、アハマド家では当分ヒツジが売…

スークへ

前回は私の思い込みから空振りに終わったスーク(青空市場)への買い出し(そのときの記事はこちら)。起床は午前5時半。イハルフとともに岩穴でお茶とパンだけ食べ、6時半ごろ出発した。外はまだ真っ暗だ。 出発する際、イハルフは外に繋いでいたロバ4頭…

「ノマドはつらい」

ノマドにインタビューしてみようと、日本を出る前から考えていた。ノマドは自分たちの生活をどう思っているのか、彼ら自身の言葉で聞いてみたい。しかし、私はまだベルベル語が堪能ではないので、ティスギ村にすむベルベル人に通訳を頼むつもりだった。そこ…

「羊が死んだ」

朝、テントから出ると、アハマドが体育座りでじっとしているのが見えた。私が近づくと、アハマドは傍らを指をさして言った。「インモート、ウッリィ(羊が死んだ)」。見ると、二匹の子羊が横たわっていた。昨晩の冷え込みに耐えられず、死んだのだ。二匹と…

最もキツイ仕事

この日はイハルフのアゴリ採りに同行する。 アゴリは、穂はないがイネに似た植物の名前だ。羊、山羊、ロバ、ラバ、すべての家畜のエサとなる。ただし近くの山には生えていない。そのため週2回、片道2時間以上かけて採りに行く。体力的に最もきつい仕事だ。…

ノマドと女性

私がノマドの女性とかかわる機会はそう多くない。最も身近なのはイハルフの妻ズンノ(35歳)だが、1日に数回、あいさつを交わすくらいで、会話という会話はしたことがない。一度、ズンノが放牧に出かける日に、「一緒に行きたい」と言ってみたが、断られ…