モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

季節ごとの移動

 ある日の放牧で、昔ノマドが住んでいた場所を通りかかった。崩れた岩がごろごろ転がっている。家畜の糞も見当たらないことから、かなり昔のテント跡らしい。イハルフは中に入っていくと、「俺たちは昔、ここで暮らしていた」と言った。

 「アハマドがまだ強かったときだ。ハセイン(弟)、ファティマ、サリージャ、ザアラ(姉妹)・・・テントの下でみんな眠った。観光客なんて、もちろん来なかった」

 「どれくらい昔?」

 「俺が二十歳のときだ」

 つまり15年前、イハルフはアハマドや兄妹らとここで暮らしていた。

 「ここにテントを張った。ここでパンを焼いた。タジンを作った」

 イハルフは指をさして説明してくれるが、そこは岩がただ散らばっているだけで、ありし日の情景を想像することは難しかった。別の日には、今の岩穴から3キロほど離れた場所で別のテント跡を見つけた。羊を囲う石垣と小さな石室(岩を積み上げてつくった2畳ほどのスペース)。ここもやはりアハマドらが作った住居で、今も時々使っているらしい。彼らはこのあたりの山を移動しながら遊牧生活を送っている。

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15年前にイハルフたちが暮らしていたテント跡

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今も移動する際に使うことがある石室。近くに羊の石垣もある

 以前、「ノマドには移動する人とそうでない人がいる」と書いた(ノマドQ&A)。ノマドは本来、草を求めて季節ごとに移動する人たちのことを指すので、「移動しないノマド」というのは、矛盾しているともいえる。ここでは、私が居候しているアハマド家を事例に、そのわけを書いてみよう。

 アハマドがいまの場所にやって来たのは2001年、55歳のときだ。それまでは、トドラ渓谷の周辺(Boumalne Dades、Msemrir、Tisguiを点で結んだ範囲、約750平方キロメートル)をテント一つで移動を繰り返してきた。しかし、50代後半になって体力も落ち、移動が難しくなってきたことから、今の場所を終の棲家と決めた。ここでも、はじめはテントで生活しながら、シャベルで少しずつ岩穴を掘り進めてきた。

 しかし、5~9月は羊にとって暑すぎるため、イハルフはここより数十キロ離れた、より標高が高い場所に羊を連れていく。イハルフはその場所を「アフラン ティジ(山頂)」と呼ぶ。石を積み上げてつくった小さな石室と、羊を囲う石垣だけがあるそうだ。水場も近いらしい。子どもはまだ小さいので、ここ何年かは1人で5か月間、放牧生活を送っている。たまに妻ズンノがロバで食料を運びにきてくれるという。

 つまり、アハマドや子どもたちは一年中同じ場所で生活するが、イハルフだけは夏だけ別の場所で暮らしているというわけだ。中にはロバに家財道具の一切をのせ、家族全員で引っ越す人もいる。私もトドラ渓谷のノマドで、そういう人を知っている。しかし、私たちがイメージするような「家財道具一切を載せて移動するノマド」は今ではかなり珍しい。

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トドラ渓谷近郊にある住居跡。自然岩の下に岩を積み上げている。この時点では誰も住んでいなかったが、私の滞在中に上の方からノマド家族が引っ越してきた

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トドラ渓谷近郊で見つけたテント跡。家畜の糞が新しいことから、移動してまだ日が浅いと思われる

 ノマドというと、「常に移動している」と思い込んでいる人もいるが、彼らが移動するのは夏と冬だけだ(余談だが、ベルベル語では「夏」と「冬」だけがあって、「春」「秋」に相当する言葉はない)。どこに行くかもあらかじめ決まっており、そこには自分たちの「家」(テントを張るスペースと小さな石室、羊を囲う石垣)がある。それも一つだけではなく、持ち場は複数あり、比較的雨が降った場所が住居先に選ばれる。

 私は一度、イハルフに「サハラ砂漠に行くのはどうだろう。あっちのほうは緑がたくさんあったぞ」と言ったことがある。しかし、イハルフは「コータローは旅行者だからどこにでも行ける。でも、俺たちが砂漠に行っても、そこのノマドは受け入れてくれないだろう」と言った。ノマドというと、「好きな場所に気の向くままに移動している」というイメージがあるかもしれないが、実は生まれた土地にある程度縛られているらしい。また、水場や放牧地などの事前情報がなければ新天地を求めることは難しいため、ある程度勝手がわかっている土地を選んでいるという面もあるだろう。

 砂漠ではまた事情が少し違うようだ。砂漠のノマドもかつては雨を求めて移動を繰り返していたが、アルジェリアとの国境を自由に越えられなくなったり、観光業に従事する人が増えたりしたことによって、状況が変わってきた。このことについては後日、あらためて記事にする予定だ。