モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

ラバとロバ、それから犬の話

 ラバとロバ。食糧や水を山の頂上に運ぶための、欠かせない生き物だ。アハマド家が所有するのはラバ1頭とロバ4頭。1頭でも死ぬと、生活への大きな打撃となる。1頭の値段は1000DH(約1万2千円)前後。それは彼らの全財産に匹敵する。

 最も重要なのはラバだ。ロバより体格が一回り以上大きく、100キロ以上の荷物を載せて標高差350㍍の上り下りにも耐えられる。「タッサルドゥント」と名付けられたこのラバは、アハマドが20年前にティネリールの町で買った。当時の値段は1000DH。スーク(市場)で買い出した野菜や飼料を運ぶほか、週2回のアゴリ(家畜のエサになる植物)採りでも重要な役目を果たしている(記事はこちら)。

 ロバの役割は飲み水と洗濯物の運搬だ。運搬量でいえばラバが勝るが、ラバとロバが同時に出動する日はほとんどなく仕事は分担されている。どちらも2日連続で働くことはまずない。疲れが溜まっているのに働かせると死んでしまうからだ。例えばスークの日、買ったものが多すぎて一日ではすべてを運べないことがあった。そんな時は優先順位の高いものだけ運び、残りはティスギ村の運転手・イブラヒムの倉庫に預けるのだが、翌日すぐに取りに戻ることはしない。少なくとも1日空けなければラバは働けないからだ。

 ラバもロバも、その日仕事がなければ明け方には野に放たれる。日中は裏山などで草をはみ、日が暮れると自分たちで帰ってくる。その後、この日唯一の「食事」としてナツメヤシと大麦を混ぜ合わせた飼料が与えられる。夜間は足に鎖がかけられる。足元の糞は雨と太陽光によって泥のように固まり、薪より優れた燃料となる。

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スークの日に載せられなかった荷物を後日運んでいるラバ(左)。ロバ4頭も水汲みに出動したが、こんな日は稀。犬3匹もついてきているので、まさにフル稼働の一日

 ちなみに彼らは犬も3匹飼っているが、こちらはかなりぞんざいに扱われている。犬は番犬でありペットではない。しかし番犬といっても、ここは標高1850メートルある山の頂上だ。外部者といえばたまに登ってくるツーリストくらい。ツーリストが来たらかなり激しく吠えたてるが、たとえどれだけ近づいてきても、攻撃を仕掛けることはない。もし訪問者を追い出すとしても、それは上位者である人間の仕事だと認識しているからだ。

 エサは朝と夜、固くなったパンをお湯で戻して与えられる。十分とはいえない量だから、犬たちは痩せ細っている。私はその姿に何度か同情を覚え、時間外にパンをあげたことがある。しかし、二切れ以上あげようとするとイハルフは必ず「それ以上やるな」と制止するのだった。「癖になる」ということなのだろう。もし犬が私たちの食事を羨ましそうに眺めてでもしたら、子ども達は問答無用で石を投げつけて追い払う。そうやって、犬は人間が上位であることを学習する。

 忠誠心は高い。例えば、アゴリ採りのときは必ずついてくるし、スークの日はたとえ午前4時の出発でも真っ暗な山道の先頭を歩いてくれる。イハルフが町で買い出ししているときも、村に留めているラバから離れず守り、ご主人が戻るのを待っている。ズンノが渓谷まで水を汲みに行くときも必ず同行するし、私が村に下りるときも一緒についてきてくれる。しかし、村に下りると子どもたちから石を投げらることも多く、村では一層、人間にビクビクしながら過ごしている(子どもたちが犬に石を投げてからかうのは日本でも見られる光景だが、イスラム教で犬は不浄な生き物とみなされていることも関係あるかもしれない。モロッコの街で犬を見ることはほとんどない)。

 私は遊牧民の犬というと、牧羊犬のような役割があるのかなと思っていた。しかし、それは思い違いだった。考えてみれば、木一本生えていない岩山には狼などの外敵はおらず、盗難の恐れもないたから、そんな役割は求められていないのだろう。しかし私は一度だけ、犬が放牧についてくるのを見たことがある。しかし羊は犬を恐れているようで、犬が群れを横切ろうとしたとき、隊列が乱れてしまった。それを見たイハルフはすかさず拳サイズの石を投げて命中させ、犬は「キャン」と言ってどこかに消えた。