モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

ベルベル人の小さな集落

 モロッコには、ピストと呼ばれる未舗装道路が山や砂漠などに存在する。地平線まで細い砂利道がずっと延びている。その先に何かがあるとはとても思えない。だが、あるのだ。それは、ベルベル人の集落に続く道だ。もともと北アフリカ先住民族であるベルベル人は、7世紀のアラブ人の侵略を受けて、砂漠や山などの僻地に追いやられた。彼らはロバや馬を使って農業を営み、自給自足の生活を送った。自動車の普及にしたがって、集落につながるピストができたが、今でも車が通るのは週1回、近郊の町でスーク(市場)が立つときにタクシーがやって来るときくらいで、普段はロバや馬の交通量のほうが多い。

 サガロ山脈の奥深くを目指して、私は再び自転車を漕いだ。ここのピストもまた聞きしに勝るすごい道で、こぶし大の石がごろごろ転がっている上、勾配もきついためペダルを回せる区間はほとんどない。

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ネコブからサガロ山脈につながるピスト

 

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背後にテーブルマウンテンがそびえるイガズンの村

 ネコブから約20キロ、5時間かけて辿り着いた終着点であるイガズン(Ichazzoun)は、典型的なベルベル人の山村だった。干からびた川に沿ってナツメヤシの木が密集し、その周辺に泥を固めた家が点在している。平屋の小学校の前の空き地では、モロッコの村ではよく見られるように、少年たちがサッカーをして遊んでいた。彼らは私を見つけると駆け寄ってきた。「シヌワ(中国人)がこんなところに何しにきたんだ」と、そんな顔である。「この村に宿はあるだろうか」と私は尋ねた。宿どころか商店すらなさそうな村だが、一軒だけ宿があるとネコブで聞いていた。少年たちは、6歳くらいの最も年少と思われる男の子に言いつけて、私を案内してくれた。

 宿は、看板もなにもなかった。泥を固めて作った、典型的なベルベル人の家。入口は閉ざされていて、中の様子が分からない。声をかけても反応がない。案内役の男の子をサッカーに戻らせて、ひとり家の前で待った。屋上でニワトリが歩き回っている。これまたベルベル的な風景だ・・・。ニワトリに見とれていると、中から「メェー」という鳴き声が聞こえた。自転車のサドルの上に立って中をうかがうと、10歳くらいの少女が3,4匹いる羊に草を与えていた。「サラマレコン(こんにちは)」。少女は私に気付くと、慌てて母親を呼びに行った。

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宿の姉妹。姉(右)はいつも赤ん坊の弟を背負っている

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イガズン村の唯一の商店

 イガズンに来たのは、この村の周辺に遊牧民が何家族か暮らしていると聞いていたからだった。実際、宿の主人によると、イガズンからイグリ(Igli)という集落の間に3家族が住んでいるという。ピストは途中で途切れるから車では無理だが、自転車なら行けないこともないらしい。私はサガロ山脈のさらに奥地、イグリという村を目指すことにした。帰りも含めて2、3日かかりそうだったので、食糧を買うため村唯一という商店に出かけた。案内してくれたのは、サリージャという6歳くらいの宿の娘。石がごろごろ転がる干からびた川床の上を、サンダルですいすい歩いていく。辿り着いた商店も、やはり看板はなかった。商店はふつうの家の倉庫のような一室にあり、客が来たときだけ開くというスタイルらしい。食べ物といえばクッキーや飴くらいしか置かれておらず、ないよりはマシと、一応いくつか買っておいた。

 それにしても、静かな村だ。車が通っていないからだろうか。こんな村がまだモロッコにあるんだなと思わずにはいられなかった。村唯一の宿も、商店も看板はなく、はたから見ると、ここが観光客を受け入れているとは誰も思わないだろう。村人は素朴で、宿の主人も含めて誰も英語も話せなかった。ただ、宿のゲストブックを見せてもらうと、1年に10人くらいの客はくるようで、やはりサガロトレッキングが目的らしい。夕飯の支度を待っている間、私は部屋で本を読んでいたが、宿の娘たちは私のことが気になるみたいで、ニコニコしながらずっと私の様子をうかがっているのだった。