モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

ジュラバ

◽️ モロッコのおじさんがみんな着ている民族衣装・ジュラバ。私は前回の旅でこれを買い、すっかり気に入ってしまった。全身をすっぽり包み込んでくれるから暖かいし、風が強い日にはフードをかぶり、日中の強烈な日差しから身を守ってくれる。不思議なことに、モロッコではTシャツ一枚とジュラバだけで、気温30度でも氷点下でも快適に過ごせてしまうのだ。 ◽️ロバを買う前に、私はまずジュラバの店を探した。専門店が二軒見つかったが、そのうち一軒は大きなサイズしか置いていない。もう一つの店は衣料やスパイスの店が入った市場の一角にあった。サイズが合いそうで、柄も私好みのジュラバが店頭に展示してある。私は年老いた店主に値段を訊いた。

◽️老店主は紙に「375ディラハム(約4400円)」と書いた。外国人とみて、ぼったくろうとしていると思った。値段を訊いたジュラバは厚手のコットン製だが、これとほぼ同じものを私は昨年タザ(Taza)という町で200ディラハムで買っている。

◽️「高いなあ。150ディラハムにまけてよ」 私は今回も200ディラハムで買うつもりで、そう言った。自分が買いたい値段より低めに提示するのがモロッコ式の交渉術である。しかし老店主は首を横に振り、手元の紙にもう一度「375」と書き殴った。これ以上は1ディラハムもまけないつもりらしい。普通ならば、350だとか300だとか、最初の言い値から譲歩した値段を提示するはずだ。

◽️「どうして、そんなに高いのだ」と私は訊いた。老店主は唾を飛ばしながら、このジュラバがいかに素晴らしいかを講釈してくれる。だがベルベル語でまくしたてられても、さっぱり分からない。私は「また来る」と言って店を後にした。相手に売る気があるならば、ここで「待った」の声がかかるはずだが、老店主は「そうかい」といった顔で素直に私を見送った。

◽️夕刻、私は再度この店に赴いた。昼間と同じジュラバを指差して、「これ、いくら?」と訊いた。老店主は紙を引っ張り出して、「375」と書いた。私はそれを二重線で消し、その上に「180」と書いた。老店主はまた盛んにまくしたててきた。「グッドクオリティー」「ベルベルオリジナル」という、どこの店でも聞くような言葉を何度も繰り返している。375では買うつもりはないが、しかし、ほかにジュラバを売っている店はない。私はもともとジュラバを買うつもりだったから、日本からは長袖シャツとセーターしか持ってきていない。これだけでは氷点下まで下がるモロッコの夜を過ごすのはつらい。さて、どうするか。私は「また来るかもしれない」と言って店を出た。

◽️ほかにもジュラバを売る店があるかもと思って下町を歩いた。とうもろこしを焼く屋台の前で暖かそうなジュラバを着ている若者がいた。「いいジュラバだね。それいくらで買ったの?」と私は訊いた。若者は「200ディラハム」と答えた。「本当?どこで買ったの?」。私がジュラバの店を探していると知ると、若者は私を近くの店に連れていってくれた。しかし、その店は専門店ではなく、品数は少ない。私好みのジュラバはなかった。私は若者に白状した。 「実は欲しいジュラバがあるんだけど、ちょっと高いんだよ」 そう言って、買いたいと思っているジュラバの写真を見せた。 「これなんだけど、いくらだと思う?」 若者は「200ディラハムだな」と答えた。 「それが店主は375だって言うんだよ」 若者は「そんなはずはない!」と憤り、「俺が店主に文句を言ってやる!」と、私と一緒に店に行くことになった。老店主をゆすりに行くようで気の毒にも思ったが、ベルベル語で対等に交渉できる若者が一緒にいれば心強い。私たちは意気揚々と店に向かった。

◽️店に着くと、老店主はお祈りの最中だった。地面に額をつけて祈りの言葉を唱えている。その姿を見て、これから若者に咎められる老店主のことがますます気の毒になった。私たちは手持ち無沙汰な感じで、店から少し離れた場所で祈りの時間が終わるのを待った。若者は店に入ると、断固とした態度で老店主に詰め掛けた。ベルベル語のため、なにを言っているのかよくわからないが、このジュラバは200ディラハムのクオリティーのはずだ、みたいなことを言っているらしい。しかし、老店主も少しもひるむ様子もなく、さらに強い調子で反論する。「店主はなんて言ってるの?」と訊いても、この若者もベルベル語しか話せないから分からない。そこへ新たに高校生くらいの少年が父親とともに店に入ってきた。少年は英語が話せた。少年に通訳を頼むと、老店主はこう言っているようであった。 「このジュラバはハンドメイドだ。お前が200で買ったというジュラバはマシーンメイドだったのだろう」

◽️私は素人なので、これがハンドメイドかマシーンなのか分からない。しかし200のジュラバと素材と作りは同じなので、マシーンだと思う。若者と少年に、「本当にハンドメイドなのか」と確認を求めた。「うん、これはハンドメイドだね」と二人の意見は一致した。若者はさっきまで強気だったのに、すっかり老人に言いくるめられている。350までは下がったようで、「グッドプライスだ」みたいなことを言う。少年もうんうんとうなづいている。

◽️結局、350ディラハムで買ったのだが、そのあと、私はことあるごとに「このジュラバはハンドメイドだと思うか」と道行く人に確認した。しかし、みな「マシーンだな」という。誰一人として「ハンドメイドだ」と言う者はいなかった。ジュラバを着て街を歩くと、よく「グッドジュラバ !いくらで買った?」と声をかけられる。「350」と言うと、「あーあ、ニイちゃんやっちまったな」という顔をされる。やはりローカル価格は200ディラハムのジュラバなのだ。

◽️あの老店主が若者にどんな説明をしたのかは分からない。しかし、あんなにやる気満々だった若者を説き伏せ、大して値下げできてないのにグッドプライスだと言わしめたのだから、よっぽど説得力のある説明をされたのだろう。モロッコの交渉は本当に奥が深い。