モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

川渡りの少女

◽️旅を始めて3日目。その日は雨だった。谷間に続く道が突然途切れ、目の前を川が横切っていた。増水したせいで道路が冠水しているのだった。流れが速く、ロバは怯えて前に進もうとしない。他に渡れそうな場所がないか川沿いを歩いたが、切り立った崖に阻まれた。来た道を引き返そうとしたとき、畑で木の実を摘んでいる姉妹の姿が目に写った。16歳と10歳くらいの少女だった。

私は身振り手振りを交えてベルベル語で訊いた。 「あの道が冠水してるんだけど、どうすればいい?」 二人は突然現れた異風の東洋人を見て唖然としている。私はさらに言った。 「川を渡れないんだ」 姉のほうが口を開いた。よく分からないが、「明日には水が少なくなるんじゃない」みたいなことを言っているようだ。私は言った。 「今日渡りたいんだ」 少女たちからすれば知ったこっちゃないだろうが、それを聞いた姉は盛んに何かをまくしたてる。しかし、何を言っているのかちんぷんかんぷんだ。私が「理解できない」と繰り返すと、姉はさらに勢いよく喋り出す。そのうち、なにを言わんとしているのか分かってきた。私は確かめるために言った。 「おいら 乗る ロバ あなた ロバ 引っ張る?」 姉は「ナム、ナム(そうよ、そうよ)」と何度もうなづいた。そして「いくら払う?」と言った。

◽️つまり、私がいくらか金を渡せば、姉が川の中に入ってロバを引いてくれるらしい。金を払ってロバを引いてもらうという発想はなかったので、面白くなってきた。ここは今後のためにも、川でのロバの引き方を見せてもらおう。私は金を払うことに決め、「いくらほしいんだ」と逆に訊き返した。

◽️姉は逆質問に戸惑いの表情を見せ、人差し指を口にあて、「うーん」と考えた。その姿もまた微笑ましかった。そして「50ディラハム!」と言った。たかが川を渡るだけで600円を要求するとはなかなか商魂たくましい。私は「20ディラハムだ!」と反論した。姉は「ノー!」と強気である。私は「なら、いいや」とかぶりを振る。モロッコ人との交渉は、納得できる値段でなければ、こちらから打ち切ってみせることが肝心だ。私が背を向けると、思った通り、姉は「わかった!20ディラハム!」と根を上げた。

◽️川の前まで行き、私はロバにまたがった。姉はレギンスを大げさにまくって見せ、ずぶずぶと川の中に入っていった。ロバは流れの前でいったん立ち止まったが、姉が「エッルァ、エッルァ!(行け行け!)」と手綱をぐいぐい引っ張るのに負けて、見事川を渡りきった。20ディラハムを渡すと、姉は私のカバンを指差し、「何が入っているの」と聞いた。私はかばんの中を見せてやった。姉はまずノートを取り出し、「ちょうだい」と言った。ダメだと言うと、さらにヘッドライトを手にして「これは?」と上目遣いで聞いてくる。ずいぶんと欲が深いようだ。私の同情を引くためか「寒いわ」と両手を胸の前でクロスさせ困った顔をして見せる。私はますます面白くなって、カメラを取って「君を撮っていい?」と聞いた。すると姉はキャーと言って村の方に逃げていった。