モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

砂漠の放牧

 砂漠の遊牧民の暮らしは、驚くことばかりだった。

 例えば、放牧のやり方だ。私がお世話になったサルム家には、約100匹のヤギがいた。家から50メートルほど離れた場所に、石を積んで作った囲いがある。中にはエサとして草が敷かれているが、出入り口に柵はなく、出入り自由だ。私がいたトドラ渓谷では、放牧時を除くとヤギはずっと囲いの中にいたから、それに比べると、ここのヤギたちは随分自由なのだ。だからテントの外に野菜を置き忘れたりすると、いつの間にかなくなっているということがしばしばあった。

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ヤギの囲いの内部。100匹すべては入りきらず、数十匹ははみ出してしまう

 放牧は、人間が朝食を食べ終えてひと段落ついた午前9時ごろ始まる。長女のサリージャ(16歳)が集団に向けて石を投げ、「ホー、ホー」と声をかけると数匹が反応する。すると、他のヤギたちもぞろぞろとあとに従い、全体としての移動が始まるのだ。サリージャはそれを見届けると、家に戻る。つまり、文字通りの放し飼いだ。 これは、トドラ渓谷のような山岳地帯では、考えられないことだった。人間がそばにいなければヤギはすぐにばらばらになって、ほとんどは家に戻ってこないだろう。それに、もし見失ってしまったら、死角が多すぎる岩山での捜索は簡単ではない。実際、山のノマドは放牧中にときどきヤギを見失うが、1日や2日で発見することは稀で、見つかったときは既に死んでいたという話はよく耳にした。だが、砂漠はずっと平らだから、ヤギはどこにいても、きちんと把握できるらしい。視力が格段にいい彼らだからこそできる業だ。砂丘のような凹凸がある場所に放す日だけサリージャが一緒についていくが、そうでなければいつもヤギだけで放牧させていた。サルム家にはバイクが1台あるから、万が一見失っても、だいたいの方角さえ分かっていれば一走りすれば様子を見に行くこともできる。これも、砂漠ならではのやり方だ。

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砂丘にも瑞々しい緑がある

 ヤギが帰ってくるのは、日が暮れ始める午後6時ごろ。サリージャが付き従うこともあるが、人間がいなくても、自力で帰ってくる。そのシーンは、感動的だ。ヤギの"家"には、まだ放牧に出られない30匹くらい子ヤギが待機している。その子ヤギたちは、遠くから歩いてくる母親の姿に気付くと、一斉に「メーメー」と鳴き始める。そして、いよいよこちらに近づいてくると、小走りで駆け寄り、おっぱいを力強く吸うのだ。夕刻に響き渡るメーメーの大合唱が私は毎回楽しみで、これを見れただけでも、ここに来て良かったなと思った。


Goats coming home in Sahara desert

 サルム家にはヤギのほかに、ヒツジが5匹、ラクダも3匹いる。ラクダは親戚の少年ファスカ(14歳)が放牧させるが、それも常に付き添う必要はないらしく、昼どきには昼食を食べるため家に戻ってくる。ただし、勝手に遠くに行ってしまわないように前足はロープでくくりつけておく。他の家庭では、車や自転車を使ってラクダを放牧させているところもある。自転車には10歳くらいの少年が乗っていたのだが、それは、あたかも「犬の散歩」をしているといった風情で、なんともおかしかった。

 少数派のヒツジは、ヤギよりもっと自由だ。ワラのような草をときどき与えるほかは、特に何もしない。5匹のヒツジは常に一緒に行動していて、腹がすいたら勝手にどこかに行き、自力で戻ってくる。私は一度、ヒツジたちが夜10時ごろ、真っ暗な中、ぞろぞろ戻ってくる姿を見て、仰天したことがある。ヒツジにも犬のような帰巣本能があるらしいことを、私はそのとき初めて知ったのだ。