モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」を読む

 今回、モロッコではひたすらダラダラしようと思っていたので、日本の実家からモロッコに宛てて本を何冊か送ってもらっていた。そのうちの一冊が英国人ローリー・スチュワート氏の「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」。これがすごく面白い本だった。

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 著者は2002年、タリバン崩壊後のアフガンに入り、ヘラートからカブールまで5週間かけて徒歩で旅行した。電気も水道もない辺境を歩きながら、イスラムの宗教観や異部族同士の確執、戦争に翻弄される市井の声を拾っていく。途中、雪山で凍死寸前になったり、足元で地雷が爆発したり、タリバンに背後から撃たれたりするのだが、そんないつ死んでもおかしくない危機的状況にあっても、ユーモアを忘れずに淡々と描いている。

 著者は途中、狼避けとして飼われていた巨大な犬を村人からもらい、バーブルと名付けて旅の道連れにする。イスラム教の慣習で不浄の動物とされるこの犬は、別に愛想がいいわけでもなく、むしろ疲れると動かなくなるので時々ひっぱって歩かねばならない。しかし、バーブルは次第に心を開き、仰向けに寝転がってくすぐってもらおうとする関係にまで発展する。実は著者はアフガンの前にイランからネパールまでの徒歩旅行を完遂しているのだが、犬がいたことで、この旅は特別な意味をもったのではないだろうか。

 私自身は、別に動物が好きとか、ロバがかわいいとか、そういう理由でロバを手に入れたわけではなく、アトラスを横断するには単純にロバ道を通らざるをえないので道連れにしただけだった。すぐに道草を食ったり、目の前でオナラを吹かされたり、気分が滅入ることもあったが、今振り返れば、ヤツの存在は心強かった。物言わぬ私の旅の唯一の目撃者として、友情さえ感じていた。私は最初、夜の間に杭を引き抜いて脱走されることを恐れていたが、ヤツには全然そんな気はなく、杭が抜かれたことは何度もあったが、それは周辺の雑草を思う存分口にするためなのであった。もしロバがいなければ、強盗にあった時点で旅をやめていたかもしれない。

 本の中で驚いたのが、アフガンも含めてイスラム圏では土地の人が次の村まで案内するのが彼らの作法であると述べていたことだ。これは新鮮だった。私もモロッコを歩く中で、村人が私の道案内を買って出たり、警察が車で警護したりしてくれたことがあった。感謝することもあったが、自由が制限されるため厄介に感じることもあり、激しく拒絶したこともある。彼らは「あなたの安全のためだ」と繰り返していたが、愚かな私は「必要ない」と言い切り、彼らを困らせた。その後、北欧人二人が殺害される事件が起きて、警察や村人たちが私の旅にしつこく干渉してきたのは、私の身を心底心配してくれたからだと思うようになった。しかも、それはムスリム伝統の彼らなりの旅人へのもてなし方だったのだ。著者自身は治安当局の警護には拒否感を示しながらも、土地の者の同行には心を許している。その余裕ある態度や人との接し方を読むと、僕とは人間の出来が違うなと思わせられる。