モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

野田知佑の「旅へ」を読んだ

 モロッコとは全然関係ない話だが、野田知佑さんの「旅へ」を読んだ。

 著者は「ツーリング・カヌーイスト」の草分けとなる存在で、これまで欧州や北米など世界各地の川をカヌーで旅してきた人だ。それに関する著作もたくさん発表している。その道では超がつくほどの有名人なのだろうが、私はつい最近知った。とにかく危険な本だ。これを読むと旅に出たくなる。就職を拒んだ野田青年の憤りやみじめさが現われていて、共感するところも多かった。

 内容は、大学卒業後に北海道を放浪していた話から始まり、38歳のとき「離婚してしばらくすると、ぼくはまたハモニカを吹き、ギターを弾くようになった」。いわば人生の再出発を迎えたところで本書は終わる。自伝的作品であるが、半分以上は、27歳のときに敢行した3カ月のヨーロッパ貧乏旅行の話で占められている。1965年のことだから、長期で海外旅行をする日本人はまだまだ珍しかったはずだ。

 旅は旧ソ連から始まり、スウェーデン、イタリア、ギリシャ、フランスなどをヒッチハイクで移動する。私が特に好きなのは、ギリシャクレタ島の日々だ。著者はここで毎夜テントすら張らずに地面に直接寝ていたという。日中は山を歩き回ったり、刺し網で魚を取ったりして過ごし、夕方になると煙を探す。そこに山から山へ渡り歩く羊飼いがいるからだ。そして、「ヤースウ(こんにちは)と声をかけて火のそばに座りこむと、水またはワイン、ナツメの実、干しイチジク、山羊のチーズ、パンなどが差しだされる」。なんて牧歌的な過ごし方なんだろう。ただ食べ物の名前が並べられているだけなのに、思わず唾がわいてくるエピソードだ。

 著者の経歴が私となんとなく似ているのにも驚いた。巻末の自筆年譜を見ると、著者は二十歳で大学に入学し、卒業した後、全国を放浪している。私もまた全国を放浪した後に二十歳で大学に入学した。27歳でヨーロッパ旅行というのも、26歳で長期の海外放浪に出た私と重なる。また、著者は帰国後、雑誌社の記者になった。私も前職は新聞記者だったので、親近感を感じずにはいられない。年譜をさらに読み進むと、衝撃的な事実が書かれていた。32歳で会社を辞めた後フリーとなった著者は、38歳で離婚し、河原でテントを張りホームレスを地でいくような放浪生活を始める・・・。そして44歳のとき日本の川をカヌーで旅した体験をまとめた「日本の川を旅する」が日本ノンフィクション賞新人賞を受賞する。著者は70歳を超えた今でも、北米のユーコン川を下るなど好きなことをして生きている。なんて鮮やかな生き方なんだろう。

 この本では、カヌーについてはほとんど触れられていないが、私はカヌー旅をやってみたいと思った。ヨーロッパ第二の川、ドナウ川を下ってみたいのだ。東欧を旅してるとき、この川に沿って何百キロも自転車を走らせたことがある。広い青空の下、さえぎるものは何もなく、川の周りにはヒマワリ畑がどこまでも広がっていた。あの川を黒海まで下っていけたら面白いだろうなあ。実現性のない夢だと思っていたが、野田さんの本を読んで僕にもできるんじゃないかと少しファイトが出た。

 ところで、著者は「旅へ」の中でモロッコについても言及している。欧州旅行の終盤に立ち寄ったが、「少しも楽しめず」数日で再び海を渡ったらしい。「人々は無気力な眼をして道端にしゃがみこんでいた。植民地の人間をぼくは初めて見たのだった」。ひどい書きようだけど、分かる気もする。ヨーロッパから第三国に渡った場合、誰もが多かれ少なかれそのギャップに戸惑うはずだ。しかもモロッコ。この国は日本人旅行者の間でインドとエジプトに並ぶ「世界三大ウザイ国」に数えられている。強引な勧誘や詐欺などに遭い、嫌いになってしまう人もいるくらい濃い国だ。1週間もいればこの国がいかに活気に満ち、人々は親切心であふれているかを知るはずだが、著者は残念ながら数日で去ってしまった。1960年中頃といえば、マラケシュはヒッピーたちにとって聖地の一つだったはずだ。面白くないはずがない。著者はスペイン領セウタからモロッコに入国しているから、おそらくマラケシュには辿り着けていないだろう。

 私も長旅の終わりにスペインからインドに飛んだが、インドがどうしても好きになれなかった。その理由の一つに、精神的な疲労があったと思う。疲れていたら、人の親切を素直に受け取れないことがあるし、その国のいやな面ばかりが目についてしまう。だから著者も、旅の終盤ではなく、もっと早い時期にモロッコを訪れていたら、また違った見方をしたのではないかと思うのだ。