モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

帰国しました

 今月中旬、ぶじに帰国しました。

 前に、遊牧民やロバ旅について、帰国後くわしく報告すると書きましたが、それは今すぐには難しそう。実はいま、この二つを題材に文章を書いています。もともとそんな野望は微塵もなかったんですが、アハマドにロバをプレゼントするためトドラ渓谷に戻ってきて、警察に止められてるときに、これはもしかしたら物語として書けるのではないかと思ったのがきっかけ。

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強盗致傷被害に遭ったタムダ湖(ワルザザート州)。ここでカメラを失う

 ロバとの旅は今振り返ると、面白かった。もともと動物好きでもなんでもなく、ただ荷物を運ばせるために買ったのだが、もの言わぬ友人として私を支えてくれた。土の道に響く蹄の音は、いつも私に落ち着きと安心感を与えてくれた。孤立した山中で強盗にあったとき、もしロバまで盗まれていたら、そもそもロバを連れていなかったら、旅を続ける気力は湧いてこなかったかもしれない。それだけ今は愛着を感じている。というようなことをこの前フェイスブックに書いたら、友人から「毎日叩いていたくせに」と突っ込まれた。確かにその通りで、旅の間は心の底からこいつはアホなんじゃないかと思っていたし、道草ばかり食うので毎日のように怒りを爆発させていた。ロバに愛着を感じ始めたのは、トドラ渓谷に着いてから、つまり旅を終えてからだ。

 それでもまたロバと旅したいと思う。今度はアラビア語をきちんと勉強して、モロッコからエジプト、シリア、そしてアジアへ、そんな旅を何年もかけてやったら楽しいだろうな。

モロッコの首都

 カサブランカマラケシュは知っていても、ラバトは聞いたことがないという人は多いだろう。ラバトはモロッコの首都である。しかし、人口規模的には国内7位くらい、地理的にも中途半端な場所に位置し、「地球の歩き方」には中ごろになってようやく登場するくらいぱっとしない都市なので、時間にゆとりのある旅行者でもスルーする人が多い。私もこれまで行こうと思ったことはなかった。しかし、友人に会うため行ってみて、想像以上の居心地の良さから、一週間も滞在してしまった。

 その理由の一つに、飯が安くて美味かったことがある。ふらりと入った安食堂のハリラやタジンで外れを引いたことがない。港町だけあってシーフードも新鮮だ。メディナ(旧市街)は活気がある。スーク(市場)もマラケシュのような観光客向けの場所に成り下がっておらず、細い路地は野菜や果物にあふれ、地元民でごった返している。観光的な見どころもないわけではなく、白と青で統一された家々が並ぶ「ウダイヤのカスバ」やローマ遺跡は一見の価値がある。大西洋側にはビーチもあり、潮の香りを楽しみながら歩くのも楽しい。首都だけあって映画館や美術館もあるので長居するにはもってこいの町だ。

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ローマ遺跡は今はコウノトリの大営巣地になっている。Tripadviserを見ても、ほとんどの人が遺跡ではなく、コウノトリについて書いている(笑)

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港町だけあってシーフドは安くて新鮮。魚のタジンもある

 ここでは、ベルベル人はきわめて少数派だ。やはり条件のいい平地にはベルベル人はほとんどいないんだな・・・と実感した。ましてや首都、アラブ人がまだまだ支配的なのだ。ラバトを含むアトラスの北側は高速道路も電車もある。都市ではトラムが走っている。だがベルベル人が多い南側には何もない。この国でも南北格差は大きな課題だ。民族衣装ジュラバを着ている人は一週間でたった一人しか見なかった。またロバも一頭も見当たらない。メディナの路地は狭いので便利なはずだが、もしかして通行が禁止されてるのだろうか。

「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」を読む

 今回、モロッコではひたすらダラダラしようと思っていたので、日本の実家からモロッコに宛てて本を何冊か送ってもらっていた。そのうちの一冊が英国人ローリー・スチュワート氏の「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」。これがすごく面白い本だった。

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 著者は2002年、タリバン崩壊後のアフガンに入り、ヘラートからカブールまで5週間かけて徒歩で旅行した。電気も水道もない辺境を歩きながら、イスラムの宗教観や異部族同士の確執、戦争に翻弄される市井の声を拾っていく。途中、雪山で凍死寸前になったり、足元で地雷が爆発したり、タリバンに背後から撃たれたりするのだが、そんないつ死んでもおかしくない危機的状況にあっても、ユーモアを忘れずに淡々と描いている。

 著者は途中、狼避けとして飼われていた巨大な犬を村人からもらい、バーブルと名付けて旅の道連れにする。イスラム教の慣習で不浄の動物とされるこの犬は、別に愛想がいいわけでもなく、むしろ疲れると動かなくなるので時々ひっぱって歩かねばならない。しかし、バーブルは次第に心を開き、仰向けに寝転がってくすぐってもらおうとする関係にまで発展する。実は著者はアフガンの前にイランからネパールまでの徒歩旅行を完遂しているのだが、犬がいたことで、この旅は特別な意味をもったのではないだろうか。

 私自身は、別に動物が好きとか、ロバがかわいいとか、そういう理由でロバを手に入れたわけではなく、アトラスを横断するには単純にロバ道を通らざるをえないので道連れにしただけだった。すぐに道草を食ったり、目の前でオナラを吹かされたり、気分が滅入ることもあったが、今振り返れば、ヤツの存在は心強かった。物言わぬ私の旅の唯一の目撃者として、友情さえ感じていた。私は最初、夜の間に杭を引き抜いて脱走されることを恐れていたが、ヤツには全然そんな気はなく、杭が抜かれたことは何度もあったが、それは周辺の雑草を思う存分口にするためなのであった。もしロバがいなければ、強盗にあった時点で旅をやめていたかもしれない。

 本の中で驚いたのが、アフガンも含めてイスラム圏では土地の人が次の村まで案内するのが彼らの作法であると述べていたことだ。これは新鮮だった。私もモロッコを歩く中で、村人が私の道案内を買って出たり、警察が車で警護したりしてくれたことがあった。感謝することもあったが、自由が制限されるため厄介に感じることもあり、激しく拒絶したこともある。彼らは「あなたの安全のためだ」と繰り返していたが、愚かな私は「必要ない」と言い切り、彼らを困らせた。その後、北欧人二人が殺害される事件が起きて、警察や村人たちが私の旅にしつこく干渉してきたのは、私の身を心底心配してくれたからだと思うようになった。しかも、それはムスリム伝統の彼らなりの旅人へのもてなし方だったのだ。著者自身は治安当局の警護には拒否感を示しながらも、土地の者の同行には心を許している。その余裕ある態度や人との接し方を読むと、僕とは人間の出来が違うなと思わせられる。

アトラスの最奥部

 この冬のモロッコはやはり暖冬のようで、まだ一月末だというのに、アーモンドのピンクの花が満開に咲いていた。

 先月28日、ハンガリーブダペストからマラケシュへと飛んだ。そして私のパスポートには四つ目となる入国スタンプが押された。入国審査では、審査官から「君はベルベル人かい」と聞かれた。ベルベル人の民族衣装ジュラバを着ていたからである。周りを見渡しても、ジュラバをまとった人は一人もいない。

 初めてモロッコにきたときは自転車で全土を旅した。ニ度目は遊牧民と生活をともにした。三度目はロバと徒歩旅行した。しかし今回は特に目的があるわけではない。ただ、アトラスの空気を最後にもう一度、心ゆくまで満喫しようと思っただけである。

 マラケシュに四泊した後、バスと乗合バンを乗り継いでオートアトラスの最奥部ザオイア・アハンサル(Zaouia ahanzal)という村にやって来た。実はロバと旅してるとき、ダデス方面からロバ道を使ってこの村を通る計画を立てていた。そのためのガイドも手配していた。だが大雪のせいでジョンダルミに強く止められ、ルート変更を余儀なくされていた。そうした経緯があったので、この村の訪問はとても楽しみにしていた。

 同じベルベル人でも「まるで別の国のようだ」と言う人さえいるザオイア・アハンサル。もちろんネットには情報がない。一体どんな場所なんだろう・・・いろいろ想像が掻き立てられた。乗合バンは雪に覆われた標高2700メートルの峠を越えていく。見渡しても集落はおろか民家さえなさそうなのに、乗客はひとり、またひとりと降りていく。出発したときは満員だった乗客が残り四人になったころ、ようやく村が見えてきた。

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 村は、想像と違わぬ、美しいベルベル人の村だった。最も大きな音を発しているのは川。次にロバ、ニワトリ、小鳥、ヒツジ、ヤギ。その中で村人たちは静かに、ひっそりと暮らしていた。どの家もロバを飼っており、週一回の青空市場の日には百頭以上のロバが駆り出される。その光景は圧巻である。私はその中を歩きながら、こいつは毛並みがすげー綺麗だなとか、あいつは目ヤニがひどいなとか、いちいちチェックしていく。それがまたこの上なく楽しい。やっぱり、ロバはかわいい。もう一度、ロバと旅したいと本気で思う。

 

喧騒のマラケシュ

 マラケシュにくるたび、私はいつも別の国にきたかのような錯覚に陥る。フナ広場の喧騒、溢れんばかりの観光客、充満する排気ガス・・・。初めてこの町に来たときから、この町がいっこうに好きになれない。

 スーク(市場)の狭い道には大勢のバイクが行き交う。ロバも数こそ少ないが、交通手段して存在している。どのロバも激しくこき使われているらしく、ケツが禿げ上がっている。私はそうしたロバにミカンをやって、それを美味そうに食う姿を飽きもせずに眺めている。

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(ティネリール近郊の山々)

 ああ、アトラスは良かったなあと思う。青い空、清々しい空気、透き通った川、羊の群れ。そんな場所は世界中にいくつもあるだろうけど、アトラスをアトラスたらしめているのは、あの極端に乾いた気候だろう。緑がほとんどなく、地層むき出しの岩山が連続する景観はまるで火星のようで、しかし、そんなところにも人が住んでいる。マラケシュのような喧騒とは全く無縁に、パンを焼き、ヒツジとともに生きているのだ。

 私は今年四月から一応働くことになっている。だが、時間はまだある。もう一度、アトラスに行ってみようと思った。今度はアトラスの小さな小さな村で一ヶ月くらい過ごしてみよう。

 しかし、もうじきモロッコのビザ(三ヶ月)が切れるから、いったん出国しなければならない。そのため昨日、ポーランド行きのチケットを取った。クラクフからウクライナ、そしてルーマニアハンガリーと抜けて、ブダペストから再びマラケシュ入りするのだ。楽しみにしているのはルーマニア北部。ロマがたくさん住んでる地域だし、東欧の山村部が冬をどう過ごしているのか見てみたい。ただ一つ気がかりなのが、寒さが未知数なことだ。防寒着といえば、私はモロッコの民族衣装ジュラバしか持っていない。果たしてこれだけで乗り切れるだろうか・・・。

 

 

 

旅を終える

 今回はとりあえず報告だけ。あれから、ジョンダルミの署長に直談判しに行った。いくつか条件はつけられたものの、なんとか登山許可を得ることができた。その後、遊牧民家族と一週間共に過ごし、今日山を下りてきた。ロバも喜んで引き取ってくれた。

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(私のロバを引き取るアハマド)

 あと一週間で、私のモロッコビザは切れてしまう。しかし、まだつぎの行き先が決まっていない。いったんスペインに出て、またすぐモロッコに戻ろうかな…。とりあえず、アトラスの旅は無事に終了しました。ブログの報告は中途半端だし、前回の遊牧民生活もまだ完結してないので、帰国後ぼちぼち更新する予定です。

最後のピンチ

 遊牧民の友人にロバを託し、旅を終えるはずだった。なのに、彼らに会いに行くことができない。

 トドラ渓谷に到着して四日目、私はいよいよ遊牧民がすむ岩山を登ることにした。彼らの家はここからロバ道を二時間ほど登ったところにある。宿の前で荷積みをしていると、ジョンダルミ(田舎警察)の署員や村長ら三人がやってきた。ジョンダルミは私が到着してから毎日、宿にやってきて私の動向をチェックしていた。そしてついに私が動くことを知り、村の三役が飛んできたというわけだ。ジョンダルミは私にいくつか質問した。携帯電話で本部とやりとりしながら、なかなか私を行かせようとしない。ついには「君は山に入れない」と言い出した。

 ジョンダルミがこの旅に干渉するのは今に始まったことではない。強盗にあう前から、「セキュリティ」と称して、ときには車であとをつけ、ときには宿を手配してくれたこともあった。大西洋の町からロバをここまで運んでくれたのも彼らの助けがあったからだ。彼らの干渉にストレスを感じることもあったが、感謝する場面も多々あった。

 なぜ山に登れないのか。やはり先日の北欧人二人がアトラス山中で、イスラム国に影響された男たちに殺害された事件が関係しているらしかった。モロッコ警察は25日までに事件に関与したとして19人の容疑者を拘束したが、まだ逃走を続けている人間が何人もいる。そのような状況で、私を山に行かせるわけにはいかないというのだ。

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 私は遊牧民家族にロバを渡し、一週間ほど彼ら一緒に過ごそうと考えていた。ジョンダルミにも前からそう伝えていた。彼らは毎日の安否確認の電話を条件に、私の計画を認めていた(ように思えた)。だが、当日になって、ダメだという。単独ではなく遊牧民の家で寝ると言ってもダメ。激しいやり取りの後、私も考えを改め、ロバを渡したらその日のうちに山を下りると譲歩してみせた。とにかくトドラ渓谷にきた最大の目的は、ロバを手渡すことなのだ。だが、それもダメ。「山に登ってはいけない」という。

「ガイドと一緒だったらいいのですか?」と私は訊いた。

「ダメだ」

「なぜ?」

「For your security」

 これまでも、ジョンダルミに「なぜ?」と問いかけると、必ずこの答えが返ってきた。これ以上の回答を得たことは一度もない。

「日中はほかのツーリストも登っているし、遊牧民もいます。危険ではありません」

「ダメだ」

「でもほかのツーリストは登ってますよ。なぜ私だけダメなんですか」

「全てのツーリストはこれから山に登れない」

そして一つの提案をされた。

「アハマド(遊牧民家族の主)がここまで来て、ロバを引き取りにくる」

 冗談ではない。アハマドは70を超えて足腰も弱く、もう何年も山を下りてないはずだ。息子のイハルフは毎日放牧の仕事がある。二人だけではなく、幼いアビシャやファティマとも会いたい。らちがあかないので、ロバとともに渓谷に向かった。登山口は渓谷を抜けた先にある。本当に立ち入り禁止になったのか確認したかった。ジョンダルミに「どこに行くんだ」と聞かれ、「渓谷まで散歩してきます」と答えると、ジョンダルミと村長が後ろからついてきた。

 登山口はやはり閉鎖されていなかった。というか、今まさに白人ツーリスト三人が上から下りてきているではないか。ジョンダルミにそう指摘すると、「今からは誰も山に登れない」と言う。しかし、それは現実的な話ではなかった。登山口に警備員を配置するなど本気の姿勢をとっているようには見えないし、どうみても私を引き止めるために嘘をついているのである。

 私は登山口の近くで土産物屋を開いている顔馴染みの連中に相談してみた。すると、一人の男はこう言った。

「あの殺害事件があったから、ピリピリしてるのさ。でもガイドをつければ登っても大丈夫さ。今日も何人もツーリストが山に入ったよ」

「いや、ガイドがいてもダメだと言われてるんだ」

すると彼らは驚き、

「ここだけの話、ジョンダルミはクレイジーなんだ」と言った。

 彼らのいう「クレイジー」という言葉は、「ナーバス」の意味に近いと思う。もし土産物屋の連中が私を心配して引き止めたなら、私も素直に従っただろう。だがそうではなく、ほかのツーリストが実際に山を下りてきたのを見て、私はひとりで行くと決心した。登山口はさっきまで村長が見張っていたが、土産物屋の連中と話をしてる間に姿を消し、ジョンダルミも帰ったようだ。私はロバを引いて登山口に向かった。

 だが、すぐに村長が血相を変えて追いかけてきた。ロバの手綱を引っ張り、行かせようとしない。私は強い口調で「どいてくれ」と抗議し、先に進んだ。するともうひとり、村長より上の格の老人が追いかけてきた。すごく怒っている。無理やり突破することもできるが、彼らと一緒にアハマドのもとに行っても、戸惑うだけだろう。迷惑になる。私は諦めて引き返すことにした。ジョンダルミが息を切らしてやってきた。めちゃくちゃ怒っていた。私の耳元で「ノー!」と叫んだ。だから私も英語で怒鳴りかえした。「これは俺の旅だ、どこに行こうが俺の勝手だ!」。ジョンダルミら三人は誰も英語が話せないので、もちろん理解はできない。

 残忍な殺害事件が起き、犯人も全員捕まってない状況でテントを張るのが危険だというのは分かる。しかし、日帰りでもダメだというのは理解できない。日中はほかのツーリストも遊牧民も歩いているし、私自身、この登山道は何十回と歩いているからよく知っている。危険性は薄い。そう言っても彼らはノーと言うだけである。なぜほかのツーリストは黙認して私だけダメなのか。彼らは理由を教えてくれない。推測するに、すでに私が強盗被害にあっていることが関係しているようだ。たしかにアジア人がロバを連れて歩いていたら人目につきやすい。あの強盗犯も私のあとをつけていたのだろう。また、登らせたら帰ってこないんじゃないかと心配しているようでもあった。

 渓谷に引き返すと、土産物屋の連中にアドバイスされた。

「一週間たてば、状況は落ち着くだろう」

 私はジョンダルミに確認した。

「一週間後なら登ってもいいのですか?」

「ああ」

「ガイドなしで?」

「ああ」

「泊まってもいいのですか?」

「Maybe(たぶん)」

 正直、信用できない。ジョンダルミは私を追い返すためなら嘘をつくこともある。一週間後、状況はますます悪くなっている可能性だってあるのだ。誰にも気付かれず早朝にロバと出発する手もあるが、すぐに村長がジョンダルミに通報し、追いかけてくるだろう。そしたらアハマドたちに迷惑をかける。村長は日中、常に私の動向に目を光らせている。

 トドラで宿を営む典子さんによると、日本人旅行者がトレッキングの途中にアハマドの家に立ち寄ると、「コータロー」という私の名前をよく口にしているらしい。アハマドの奥さんや小さい息子とは村ですでに顔を合わせたので、私が来ていることは伝わっているはずだ。

 正直、困った。一週間後の状況がよくなっていることを願うしかない。それでも、やはり山に登ってはいけないと言われたら・・・。最後の最後で私は困り果てている。