モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

最後のピンチ

 遊牧民の友人にロバを託し、旅を終えるはずだった。なのに、彼らに会いに行くことができない。

 トドラ渓谷に到着して四日目、私はいよいよ遊牧民がすむ岩山を登ることにした。彼らの家はここからロバ道を二時間ほど登ったところにある。宿の前で荷積みをしていると、ジョンダルミ(田舎警察)の署員や村長ら三人がやってきた。ジョンダルミは私が到着してから毎日、宿にやってきて私の動向をチェックしていた。そしてついに私が動くことを知り、村の三役が飛んできたというわけだ。ジョンダルミは私にいくつか質問した。携帯電話で本部とやりとりしながら、なかなか私を行かせようとしない。ついには「君は山に入れない」と言い出した。

 ジョンダルミがこの旅に干渉するのは今に始まったことではない。強盗にあう前から、「セキュリティ」と称して、ときには車であとをつけ、ときには宿を手配してくれたこともあった。大西洋の町からロバをここまで運んでくれたのも彼らの助けがあったからだ。彼らの干渉にストレスを感じることもあったが、感謝する場面も多々あった。

 なぜ山に登れないのか。やはり先日の北欧人二人がアトラス山中で、イスラム国に影響された男たちに殺害された事件が関係しているらしかった。モロッコ警察は25日までに事件に関与したとして19人の容疑者を拘束したが、まだ逃走を続けている人間が何人もいる。そのような状況で、私を山に行かせるわけにはいかないというのだ。

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 私は遊牧民家族にロバを渡し、一週間ほど彼ら一緒に過ごそうと考えていた。ジョンダルミにも前からそう伝えていた。彼らは毎日の安否確認の電話を条件に、私の計画を認めていた(ように思えた)。だが、当日になって、ダメだという。単独ではなく遊牧民の家で寝ると言ってもダメ。激しいやり取りの後、私も考えを改め、ロバを渡したらその日のうちに山を下りると譲歩してみせた。とにかくトドラ渓谷にきた最大の目的は、ロバを手渡すことなのだ。だが、それもダメ。「山に登ってはいけない」という。

「ガイドと一緒だったらいいのですか?」と私は訊いた。

「ダメだ」

「なぜ?」

「For your security」

 これまでも、ジョンダルミに「なぜ?」と問いかけると、必ずこの答えが返ってきた。これ以上の回答を得たことは一度もない。

「日中はほかのツーリストも登っているし、遊牧民もいます。危険ではありません」

「ダメだ」

「でもほかのツーリストは登ってますよ。なぜ私だけダメなんですか」

「全てのツーリストはこれから山に登れない」

そして一つの提案をされた。

「アハマド(遊牧民家族の主)がここまで来て、ロバを引き取りにくる」

 冗談ではない。アハマドは70を超えて足腰も弱く、もう何年も山を下りてないはずだ。息子のイハルフは毎日放牧の仕事がある。二人だけではなく、幼いアビシャやファティマとも会いたい。らちがあかないので、ロバとともに渓谷に向かった。登山口は渓谷を抜けた先にある。本当に立ち入り禁止になったのか確認したかった。ジョンダルミに「どこに行くんだ」と聞かれ、「渓谷まで散歩してきます」と答えると、ジョンダルミと村長が後ろからついてきた。

 登山口はやはり閉鎖されていなかった。というか、今まさに白人ツーリスト三人が上から下りてきているではないか。ジョンダルミにそう指摘すると、「今からは誰も山に登れない」と言う。しかし、それは現実的な話ではなかった。登山口に警備員を配置するなど本気の姿勢をとっているようには見えないし、どうみても私を引き止めるために嘘をついているのである。

 私は登山口の近くで土産物屋を開いている顔馴染みの連中に相談してみた。すると、一人の男はこう言った。

「あの殺害事件があったから、ピリピリしてるのさ。でもガイドをつければ登っても大丈夫さ。今日も何人もツーリストが山に入ったよ」

「いや、ガイドがいてもダメだと言われてるんだ」

すると彼らは驚き、

「ここだけの話、ジョンダルミはクレイジーなんだ」と言った。

 彼らのいう「クレイジー」という言葉は、「ナーバス」の意味に近いと思う。もし土産物屋の連中が私を心配して引き止めたなら、私も素直に従っただろう。だがそうではなく、ほかのツーリストが実際に山を下りてきたのを見て、私はひとりで行くと決心した。登山口はさっきまで村長が見張っていたが、土産物屋の連中と話をしてる間に姿を消し、ジョンダルミも帰ったようだ。私はロバを引いて登山口に向かった。

 だが、すぐに村長が血相を変えて追いかけてきた。ロバの手綱を引っ張り、行かせようとしない。私は強い口調で「どいてくれ」と抗議し、先に進んだ。するともうひとり、村長より上の格の老人が追いかけてきた。すごく怒っている。無理やり突破することもできるが、彼らと一緒にアハマドのもとに行っても、戸惑うだけだろう。迷惑になる。私は諦めて引き返すことにした。ジョンダルミが息を切らしてやってきた。めちゃくちゃ怒っていた。私の耳元で「ノー!」と叫んだ。だから私も英語で怒鳴りかえした。「これは俺の旅だ、どこに行こうが俺の勝手だ!」。ジョンダルミら三人は誰も英語が話せないので、もちろん理解はできない。

 残忍な殺害事件が起き、犯人も全員捕まってない状況でテントを張るのが危険だというのは分かる。しかし、日帰りでもダメだというのは理解できない。日中はほかのツーリストも遊牧民も歩いているし、私自身、この登山道は何十回と歩いているからよく知っている。危険性は薄い。そう言っても彼らはノーと言うだけである。なぜほかのツーリストは黙認して私だけダメなのか。彼らは理由を教えてくれない。推測するに、すでに私が強盗被害にあっていることが関係しているようだ。たしかにアジア人がロバを連れて歩いていたら人目につきやすい。あの強盗犯も私のあとをつけていたのだろう。また、登らせたら帰ってこないんじゃないかと心配しているようでもあった。

 渓谷に引き返すと、土産物屋の連中にアドバイスされた。

「一週間たてば、状況は落ち着くだろう」

 私はジョンダルミに確認した。

「一週間後なら登ってもいいのですか?」

「ああ」

「ガイドなしで?」

「ああ」

「泊まってもいいのですか?」

「Maybe(たぶん)」

 正直、信用できない。ジョンダルミは私を追い返すためなら嘘をつくこともある。一週間後、状況はますます悪くなっている可能性だってあるのだ。誰にも気付かれず早朝にロバと出発する手もあるが、すぐに村長がジョンダルミに通報し、追いかけてくるだろう。そしたらアハマドたちに迷惑をかける。村長は日中、常に私の動向に目を光らせている。

 トドラで宿を営む典子さんによると、日本人旅行者がトレッキングの途中にアハマドの家に立ち寄ると、「コータロー」という私の名前をよく口にしているらしい。アハマドの奥さんや小さい息子とは村ですでに顔を合わせたので、私が来ていることは伝わっているはずだ。

 正直、困った。一週間後の状況がよくなっていることを願うしかない。それでも、やはり山に登ってはいけないと言われたら・・・。最後の最後で私は困り果てている。