モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

殺害事件に思う

 18日未明にアトラス山中で北欧ツーリスト二人が殺害された事件で、19日までに容疑者四人が逮捕された。私も二ヶ月以上、アトラスを単独で旅し、被害者と同じくテントの中で寝ていたところを強盗犯に襲われた経緯があるので、とても他人事とは思えず、ここ数日はニュースを読み漁った。

 死体は頭部が切断されており、盗難はなく、モロッコ当局は「犯罪的なテロ行為」とする声明を発表したようだ。地元メディアによると、容疑者らは最近、SNS上にイスラム国への忠誠を誓う動画を投稿していたという。当局もイスラム国への関与を示唆している。

 今回の事件は、現地だけでなくヨーロッパでも大きく報道されている。モロッコはヨーロピアンにとって人気の観光地、観光業は主産業の一つであり、欧米人女性を狙った斬首事件となれば衝撃は計り知れない。

 日本の反応はどうだろうと思って調べてみたら、時事通信がAFPの記事を翻訳して配信しているくらいで、たぶんほとんど報道されていない。日本人旅行者は数こそ多くないものの、団体ツアーはよく組まれているし、個人旅行者も一定数いる。こうした事件が起こりうることを知っているだけでも防犯意識は高まるので、もっと報道されるべきだ。

 ノルウェーデンマーク当局は、今回の事件を受けてガイドなしのトレッキングは控えるよう国民に呼びかけた。日本人には馴染みは薄いが、欧米人にはモロッコはトレッキング天国として有名だ。まあ当然の反応だと思う。テロがなくてもアトラスはそもそも危険な場所だ。私も標高3000mで猛吹雪にあい雪山に閉じ込められ(ロバが)死にかけたり、イノシシと鉢合わせたり、すでに報告したように強盗犯に襲われて暴行されたりもした。しかし、私は単独行であることの気楽さや、一人だからこそ味わえる自然の美しさも知っているので、ガイドをつけようと思ったことはない。もうこれは性のようなものなので、「ガイドがいれば事件を防げたのに」などと言うことは意味がないと思っている。

 ただし、こういう事件も起こりうるのだという認識を持つことは必要だろう。私を襲った強盗犯は実力行使に出るまで二度、私のテントを訪れているわけだが、三度目にテントを蹴られるまで強盗の可能性は全く考えていなかった。殺された女性二人も、まさかモロッコで、それも人里離れた山中でテロリストに襲われるなんて夢にも思わなかっただろう。もし、心の片隅に危険かもしれないという認識を持っていれば、違う結果になっていたかもしれないとも思うのだ。

 私がモロッコを旅するのは今回で三度目だ。過去二回は何も問題がなく、モロッコは安全な国だと完璧に思い込んでおり、警戒心を全く抱いていなかった。しかし今回実際に襲われて、北欧ツーリストが殺害された事件もあって、その認識は覆された。もちろん平時は平和で穏やかな時間が流れている。だが、村の夜は早い。村が寝静まった後、どんな人間が山に潜んでいるかは分からない。私は既にアトラスの旅を終えたが、もし殺害事件が先に起こっていれば、旅を続けようという気にはならなかったかもしれない。首を切断して殺害するなんて異常すぎる行為だ。その場面が犯人によってビデオ撮影され、動画がネットで拡散しているが、あれを見たらもう山の中でテントを張ろうなんて思えない。

 逮捕された容疑者の一人について、その兄が地元テレビ局のインタビューに次のように答えている。

「弟は教育を受けていなかったから(イスラム国に)洗脳されたんだ。弟は普通の男だったが、過激なところがあった」

 ああ・・・と思った。アトラスの小さな村々を旅する中で、私は多くの若者と出会った。彼らのほとんどは職がなかった。一度は都市で就職したものの失敗したり、高校は出たがそのまま村でぶらぶらしていたり…。彼らが私にいつも口にするのは、「マグリブ・ゼロ」という言葉だった。「モロッコには何もない」という意味だ。ヨーロッパやアメリカ、日本という経済大国を羨ましがっていた。彼らは悪人なんかでは全然なく、きわめて善人だったが、ふとしたきっかけで私たちに敵意を向ける可能性もあるのではないかと、この兄のインタビューを読んで思った。モロッコイスラム国の戦闘員供給国であることは有名な事実だ。

 とにかく、今回の悲惨な事件は、これからモロッコを訪れるすべての日本人に知っておいてほしいと思う。