モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

アトラスの砂漠

  • 10日目 Imouzzer Marmoucha→Boulemane→Zeida近郊

 ホテルの前の通りは、朝から人であふれていた。町の中心の広場で、週1回の市が立っていたのだ。野菜をはじめ衣料、日用品、靴、寝具、大工用品など、生活に必要なすべてのものが、このマーケットで手に入る。 

 例えばニワトリだ。柵の中に、毛をむしり取られたニワトリが動き回っている。客がくると、ドラム缶の熱湯にぶちこみ、失神させてから包丁で切り分ける。何とも売り方が豪快なのだ。鶏肉はベルベル人にとって最も身近な存在らしい。女たちは、家の庭で育てた七面鳥を2~3羽ずつ市にもってきて、客を待っている。七面鳥は足を縛られて身動きできず、観念したように横たわっている。

 私はみかんを1キロとバナナを2房だけ買い、町を出た。

f:id:taro_maru:20180103214810j:plain

f:id:taro_maru:20180103214828j:plain

 町を出ると、砂漠が広がっていた。ここはまだミドルアトラスの山中だが、草はほとんど生えておらず、景色はもう砂漠といっていい。

 ♪なにもないな 誰もいないな 快適なスピードで 道はただ延々続く・・・

 奥田民生のイージューライダーが頭の中で流れる。

 砂漠というのは、その一瞬を切り取ればロマンにあふれた風景に見えるが、移動するとなると、退屈この上ないものだ。起伏がなく、景色はずっと同じで、遮る物は何もないから風は容赦なく吹き付ける。時々羊の放牧も見かける。放牧というのは、孤独な仕事だ。彼らはいつも一人である。一人で、草を食む羊をじっと眺めている。話し相手は誰もいない。ベルベル人は「待つ」ことに長けた人々だなと思う。羊飼いもそうだし、この辺りでは乗り合いバンはいつ来るか分からないから、彼らは道端でじっと待っている。そういえば、モロッコにはタジンという料理がある。土鍋に野菜と肉、オリーブオイルを入れて弱火で1時間煮込みやっと完成する料理だ。そんな気長な料理が生まれたのも、ベルベル人がいるこの国だからこそだなと思う。そんなことを考えながら私はペダルを回し続ける・・・。

f:id:taro_maru:20180103231028j:plain

 おばさんが、道端に荷物を置いて座り込んでいた。乗り合いバンを待っているのだろう。私もそれに乗ることにした。だが、我々の前に止まったのはバンは乗り合いではなく、どこかに荷物を運び終わって後ろが空になったバンだった。座席はない。床にはたくさんのわらが散らばっていた。揺れて揺れて仕方がない。しかし、おばさんはどっかりと腰を下ろし、身動き一つせずじっと前を見据えていた。

f:id:taro_maru:20180103232217j:plain

 午後2時ごろBoulemaneに着いた。この町でも市が立っていて、私はみかんをさらに1キロを買い込んだ。食堂でタジンを食べ、日暮れごろ出発した。BoulemaneからZeidaという町まで80キロの道のりは、砂漠が広がっているだけで、町がない。その日は夜を徹して漕げるところまで漕ぎ、テントを張るつもりだった。やがて夜になった。車はほとんど通らない。聞こえるのは、ペダルが回る音と、私の息遣だけだ。ときどき、私のヘッドライトに反応して犬が吠えてくる。

 前方に車が3台止まっていた。何人かの男が外に出ている。私が避けようとすると、声をかけられた。「私を覚えているか?」。数時間前、Boulemaneの町で2、3言だけ言葉を交わした男だった。

 「今日はどこまで行くつもりだ?」

 「Zeidaまで。でも今日中に着くのは難しいだろうから、砂漠で寝るつもりです」

 「寒いぞ。砂漠で寝るのはよしたほうがいい」

 これまで何度も聞いたセリフだった。男は1台の車を指さして、続けた。

 「彼らがZeidaまで行くから乗ったほうがいい。心配することはない」

 男が何者なのか、ほかの車のメンバーとどういう関係なのかは何ひとつ分からなかった。だが、私は男の申し出に乗ることにした。実際、夜の砂漠は寒すぎる。これまでも何度か野宿したが、明け方になると寒すぎて、太陽が出てくるまで寝袋の中でじっと待たねばならなかった。

 バンに私の自転車と荷物を乗せ、私自身は別の車に乗り込み、出発した。途中、私の車がガス切れを起こし、バンに牽引してもらうというハプニングはあったものの、夜8時ごろ、無事にZeidaに到着した。 Zeidaはフェズとサハラ砂漠を結ぶ幹線道路、国道13号沿いにある町だ。沿道のほとんどの食堂はこの時間でも営業しており、たくさんの自動車とトラックが止まっていた。今夜はガソリンスタンドにテントを張らせてもらうか・・・。バンから自転車と荷物を下ろすと、すぐさま男が近づいてきた。ジョンダルミ(田舎警察)だった。男は私に聞いた。

 「今夜はどこで寝るんだ?」

 「ガソリンスタンドで。テントを持っています」

 「それは危険だ」

 「どうしてですか?」

 「この辺りは車が多い。何が起きるか分からない」

 「じゃあ砂漠で・・・」

 「もっと危険だ。もし君に万が一のことがあれば・・・」

 男によると、ここから7キロ先にキャンプ場があるらしい。「そこは安全で、シャワーもついている。君の安全を確保することは私の任務だ」と男は繰り返す。「値段は?」「30DH(360円)くらいだろう」「分かりました。今夜はそこで泊まります」。そう言って、その場を離れようとすると、男は「待て。私がそのキャンプ場まで車で送ろう」と言う。とにかくその場を離れて砂漠にテントを張ろうと思っていた私の心は見破られていた。

 キャンプ場は、4つ星級ホテルの広い敷地の一画にあった。ホテルの受付によると、キャンプ場使用料が30DH、テントを張るのに25DH、計55DH(660円)とのことだった。砂漠で寝れば無料なのに、わざわざ金を払ってキャンプ場を使うのはバカらしい。私は受付に言った。「実は私は砂漠にテントを張ろうと思ってて。だけど警察が危険だというから、無理やりここに連れてこられて・・・」。すると、受付の男はあきれたような表情で「オーケー。タダでいい」と言った。「本当ですか?いいんですか?」私は聞いた。すると男はやはり言うのだった。「砂漠は危険だから、やめたほうがいい」

 この日、キャンプサイトにテントを張ったのは、私一人だけだった。