モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

私とノマドの出会い

 その〝家〟を見たとき、率直に感じたのは、「今の時代に、こんなところに住む人たちがいるのか」という驚きだった。固いトゲがついたラクダ草が点在するだけの乾燥した岩山。その斜面に、大きな穴が5つ、6つ。ただ掘るという、最も原始的な手法で作られた家だ。そこで暮らすのは、山と砂漠を往復する遊牧民ノマドと呼ばれるベルベル人だった。

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ノマド一家が暮らす岩穴=トドラ渓谷近郊

 今年1月下旬、私はモロッコ南部、ティネリール郊外にあるトドラ渓谷を訪れた。ちょうど桜に似たアーモンドの花々が咲き始める時期で、集落のそばを流れる川は透き通って美しく、桃源郷のような場所だ。渓谷の絶壁を登りに来るロッククライマーも多いが、私の目的は、ノマドの生活を一目見ることだった。ここには本物のノマドがいると聞いていたからだ。

 ある日、岩山を登っていると、ノマドと思われる2人の男とはち合わせた。飲み水を汲みに山を下りたのだろう、手には水が入ったペットボトルをぶら下げている。狭くて急な崖道を後ろから付いていくように歩いた。2人は見晴らしの良い場所に着くと、岩場に腰を下ろして休憩し始めた。すると、そばに生えていたラクダ草をちぎって燃やし、茶を沸かし始めるではないか。また少し歩いては、横になってお茶の休憩となる。この人たちは、なんてさりげなく茶を飲むんだろう。ベルベル人は自分たちのことをよく「自由な民」と表現するが、その訳が何となく分かったような気がした。

 興味が募った私は、彼らと交渉して3泊4日でホームステイさせてもらった。生活は実にシンプルだった。男はヤギやヒツジの放牧に出かける。女はロバを引いて川まで洗濯に行く。家では祖父とともに留守番する幼い姉妹が燃料となるラクダ草を集めたり、家畜のエサを用意したりしながら過ごしていた。日が暮れるころ、両親が戻り、その日初めて家族全員がそろい夕食が始まる。鍋は何十年も使い続けてきたのだろう、文字通り〝真っ黒〟だった。ほら穴にあかりがともる。そこは標高2千メートルの世界。音ひとつしなかった。空を見上げると、満天の星がまたたいている…。

f:id:taro_maru:20171121181950j:plain  だが、ノマドの美しい暮らしはいま、大きな曲がり角を迎えている。トドラ渓谷に通じる道は数年前に拡張工事が完了し、毎日、観光客をのせた大型バスが何台もやって来る。「観光客が来るようになって、僕たちは物質的な豊かさを知った。ノマドの生活は本当に過酷だ。ノマドはいずれいなくなるだろう」。いまは集落で観光客相手の仕事をする元ノマドの青年の言葉だ。ノマドの未来について、このような見通しを語る人は少なくない。もしノマドが消えゆく運命ならば、彼らの生き方を記録にとどめておきたい。帰国後、モロッコノマドに関する文献を探してみたが、見つからなかった。ならば、私がやるしかない。大げさに言えば、そんな使命感が芽生えたのである。いや、もしかしたら私は単にノマドに憧れているだけかもしれないが…。

 そういうわけで、この冬、モロッコを再訪します。まだ航空券のチケットすら取っていませんが、しばらくノマドとともに生活し、その様子をここで報告できればと思います。よろしくお願いします。