モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

強盗の後に

 11月中旬の、標高2670mの山中である。気温は氷点下近くまで下がっていた。2人組に襲われた後、外に散乱した荷物を整理する気力も湧かず、ぼろぼろのテントの中に入った。寝袋と毛布二枚は無事だった。それでも明け方には霜がおりてくる。フライシートはもはや機能せず、水がテントの内側に染み込んできた。毛布にくるまり、震えながら夜を明かした。

 午前6時10分ごろ、ようやく東の空が白み始めた。テントを片付け、ロバに餌をやり、散乱した荷物をリュックの中に詰め直した。そして山を下り始めた。不安だった。果たして村にたどり着けるだろうか。

 タムダ湖は観光名所でもなんでもなく、はっきりとした登山道があるわけではない。昨日もタブレットの地図を頻繁に確認しながら、それでも何度も道を間違えながら何とか辿り着いた。タブレットを失ったいま、無事に村まで下りられるだろうか・・・。最初の3時間ほどは順調だった。しかし、やがて道を見失った。大きな岩が転がる干上がった川床を必死に歩いていると、上の方から声がした。ヤギ飼いの初老の男だった。

 「ティゴザの道はどこですか」と私は聞いた。

 ティゴザは湖から最寄りの村である。男は「こっちだ。そこから上に登れる」と私を指示した。ロバの手綱を引いて必死に斜面を登り切ると、男は「その目はどうした」と訊ねた。私の右目は大きく腫れ上がっていた(あとで鏡を見ると血だらけだった)。「昨夜、湖のそばでテントを張っていたら二人の男が来た。殴られて、金やカメラを盗まれた」。拙いベルベル語だったが、男は理解し、驚いたような顔をした。

 正しい山道に出て20分ほど歩くと、さっきのヤギ飼いが追ってきた。「お茶とパンを食べよう」と男は言った。すでに4時間近く歩いているが、まだ何も口にしていなかった。しかし、私は早く村まで出て警察を呼びたかったし、なに呑気なことを言ってるんだと思った。けれど、誘いを受けることにした。昨夜の男2人のお茶の誘いを断ったことがどこかで引っかかっていたのかもしれない。バカな考えかもしれないが、本当は我々はうまくやれたのに、誘いを断ったことで、不機嫌になったのではないかと思ったのだ。

 ヤギ飼いの男は風除けに使えそうな巨大な岩の陰に私を誘導した。その辺に生えている太い根っこがついたラクダ草を引っこ抜き火を付け、お茶を沸かし始めた。布にくるんだパンを取り出し、ちぎって、その上にバターの塊と蜂蜜をたらし、私に差し出した。コップに熱いお茶が注がれた。私たちは何も言葉を交わさなかった。だが男の温かい思いやりは私の心に深く染み込んできた。目に涙があふれてきた。寒くて不安だった私に、それはどれだけありがたかったことだろう。男は放牧の仕事を中断し、私を村まで案内すると申し出てくれた。

 山を下りきると平地になり、渓谷になった。陽光をたっぷり受けて流れる川は透き通って美しく、もし強盗に遭わなければ楽しい道のりだっただろうにと恨めしく思った。さらに1時間ほど歩くと4人の男が岩場に腰を下ろしていた。ジョンダルミ(田舎警察)の署長やマカダム(村長)らだった。ヤギ飼いの男がいち早く電話で連絡し、こちらに向かってくれていたのだ。4人とも英語はほとんど話せなかったが、私はベルベル語で事のあらましを簡単に説明し、計6人でティゴザまでの道のりを歩いた。ティゴザに着くとロバはヤギ飼いの男が預かることになり、ジョンダルミの車に荷物を乗せ、ここから10キロほど離れたトゥルエット(Telouet)という町に向かった。

 トゥルエットでは、まず病院で右目の治療を受けた。ドクターは英語を流暢に話した。私は治療を受けながら署長からいくつか質問を受けた。その後、町の外れにある署に行った。そこで真っ白なA4用紙を渡され、ことのあらましを英語で書くよう求められた。3枚分の報告書を書き上げた。それを英語がわかる若い署員がアラビア語に翻訳し、署長と部下が代わる代わるパソコンにタイプしていく。署長はさらに突っ込んだ質問をしてきた。

 ロープで身体を縛ったのは若い方か?テントを蹴ったのはどちらか?ナイフはどんな形状だったか?・・・私も日本で新聞記者をしていたころ、事件事故があると警察署でそんなことをよく丹念に質問していた気がする。タイピングがひと段落つくと、「ふう、疲れた」と署長は言った。「ありがとうございます」と私。署があるトゥルエットで待っていればいいのに、私をいち早く出迎えるためわざわざ隣村まで出向き、頻繁にかかってくる本部からの電話に必死に対応する仕事ぶりに、頭が下がる思いだった。「いや、タバコの吸い過ぎですぐに息が切れてしまうんだ」と署長は言った。

 「君にこの煙はよくないね」と言って、タバコを吸わない私を慮り部屋の窓を開けてくれた。「タジンはどうだったかね」と署長。病院から戻った後、「何を食べたい?」と聞かれたので「タジン」と答えた。そしたら彼の奥さんが作って署まで差し入れてくれたのだった。

 「とてもおいしかったです。僕も毎日タジンを作りますが、あなたの奥さんの方がずっと美味い」

 署長は嬉しそうに「サンキュー」と言った。

 「君はタシュラヒート(ベルベル語)を話すね?」

 「はい。少しですが」

 「どこで覚えた?」

 「ティネリールの近くで。今年の初めに遊牧民の家族と二ヶ月ほど一緒に生活して、覚えました」

 署長は「You see good」と言った。

 夕方になると署長に宿まで送ってもらった。トゥルエットには古く美しいカスバ(城砦)が残っていて、ちょっとした観光名所になっている。宿はそのカスバの目の前にあった。宿泊代は署長のポケットマネーで払ってくれた。宿の人たちもとても親切だった。ある人は私にこう見解を示した。「君が山に入っていくのを犯人に見られて、あとをつけられていたんだよ」。確かにあんなに険しい山道を夜間歩く理由は他にないだろうし、犯人の二人は極めて軽装だった(ひとりは何も持ってなかった)。それなのにナイフは持っていたから、確信犯だったのだろう。私もあとをつけられていたのだと思う。

 「犯人は捕まるとおもう?」

 「捕まるさ。ジョンダルミはとてもよく働く。都市の警察よりもね」

 ジョンダルミは田舎の人たちから大きな信頼を寄せられているのである。彼はさらに言う。「それぞれの村にはマカダムがいて、ジョンダルミと連携して犯人を見つけ出すだろう。彼らはどんな人間が村にいて、出入りしてるか全て掌握してるんだ」

 マカダムは日本でいう町内会長のような存在だ。私もこの旅で何度もお世話になっている。というより彼らはときに親切が過ぎたり、過度に干渉してきたりするので、疎ましく思うこともあるくらいだ(これは別記事で書こうと思っている)。宿で豪華な夕食をご馳走になり、一眠りした深夜0時ごろ、署長が宿まで迎えにきた。署から日本の保険会社に国際電話をかけるためである。失った現金は戻らないが、カメラなどの金はある程度、保険で返してもらうことができる。しかし保険会社の営業時間はモロッコの深夜から早朝までなので、署長が特別に署を開けてくれたのだった。

 手元には現金がなにもなかった。トゥルエットはアトラスの町としては比較的大きな町だが、銀行はない。私はバスでマラケシュに行くことにした。ロバは私が戻るまでティゴザの村人が預かってくれるという。私は明け方、一日一本しかないバスに乗ってトゥルエットを発った。

続く