モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

遊牧初日(後半)

 パンとナツメヤシの実の昼食を食べ終え、13時45分出発。少し登ると、平らな広い場所に出た。こぶし大の岩がごろごろ転がっている。イハルフは横になってうとうとし始めた。私もそれにならう。周囲の岩山は地肌がむき出しだから、眺めていると雲の動きがよく分かる。雲の影が風に流されすぅーと東に流れていく。イハルフはかばんから赤い小型ラジオを取り出し、アラビア語の音楽を聞き始めた。ラジオはノマドが持っている数少ない文明の利器の一つだ。ラジオはベルベル語でも「ラディオ」という。フランス語から借用しているらしい。私はもちろんイハルフも歌詞の意味は理解できないが、2人でアラビア音楽を聞きなが散り散りになって草を食んでいる羊たちを眺める。

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イハルフが取り出した小型ラジオ。チャンネルボタンはコカ・コーラの瓶のふただ

 14時35分、背後からノマドの男性が現れた。髭と眉毛が濃い典型的なノマドの顔だ。2人は座って話をし始める。30分後に出発。イハルフは羊の群れから何匹かいなくなっていることに気づき、まず東側を確かめてから、南側の斜面で3匹を発見し集団に戻した。ここから進路は北から南に転じ、来た道とは別の道を通って帰路につく。

 今では時には冗談も交えながら簡単な会話ができるようになったが、このころは私のベルベル語の語彙が少なすぎるので、イハルフが私に語る言葉はひたすらノートに書き留めていた。動植物や道具類など目についたものはとにかく「マッツァウィンナ?(これは何?)」と聞き、返ってきた言葉を片仮名でノートに記す。そして、村に下りてきたときに意味を確認するのだ。

 このときも常にノートを片手に持ちながら歩いていた。イハルフがちょっと貸してくれと言うので渡す。私の似顔絵を描き始めた。だが、完成した絵はお世辞にもうまいとはいえない。私もイハルフの似顔絵を描いた。するとイハルフは、紙の裏に彼の家族の名前を日本語で書いてくれと私に言った。イハルフ、ズンノ、アハマド、アビシャ、ファティマ、ヌバーシ、バルヒ。片仮名で書くと、フランス語でも、とお願いされる。イハルフはそれを大切そうにかばんの中にしまった。

 16時40分、山羊の放牧に出ていた12歳くらいのハッサン、弟バーバと出会う。この2人とはその後も何度も出会うが、バーバは大きな赤いラジオをいつも抱えていて、やはりアラビア音楽を流している。彼はちょっと擦れていて、いつも卑猥な言葉を発して一人で「ヒヒヒ」と笑っている。

 7頭の山羊が山の斜面から駆け降りてきた。ハッサン、バーバ組とはまた別のノマドの山羊だ。この時間はノマドの帰宅ラッシュらしい。イハルフは、そのノマドの男性とまた何やら話し始めた。谷を隔てて300㍍は離れているのに、10分以上も話し込んでいる。それでも相手の声はこちらによく届く。私の目では、目を凝らさないと相手がよく見えない。ここに暮らしてると、人がとても小さく見える。

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目を凝らしてやっと人が確認できる距離なのにイハルフは平気で会話をする

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大麦やナツメヤシの実などを混ぜた飼料を食べる羊

 羊たちも犬のように帰巣本能を備えているらしい。家に近づいてくると羊たちは自然と一列になって崖の上を歩く。ときどき先頭が立ち止まって後ろがつっかえるが、イハルフが「ピュッ」と口笛を鳴らすとまた進み始める。日が沈みきった直後の18時ごろ帰宅。放牧中、小さな石垣の中で待機させられていた子羊3匹がそれを察して一斉にめぇーめぇーと鳴き始めた。イハルフが囲いの中から外に出してやると、子羊たちは母親をすぐさま見つけ懸命に乳を飲みだす。

 1日の放牧は、大麦やナツメヤシの実などを混ぜた飼料を与えてやっと終わる。あらかじめ羊の数の分だけ小袋に入れておいてやり、ズンノ、アビシャ、イハルフが手分けして首にかけて食べさせてやる。羊たちは半日中ほぼノンストップで草を食んでいたくせに、これまでの食事は一体何だったのかと思わせるほど猛烈な勢いで飼料を食べている。羊の食事が終わると、やっと我々の夕食が始まる。