モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

山羊の解体

 今日は山羊を解体してもらう。正午ごろ、日本人観光客が7人、山を登ってきた。前日、ティスギ村まで下りたとき、典子さんの宿に泊まっていた人たちを私が誘ったのだ。

 山羊の解体に立ち会うのは、今回が2回目。1回目はタムタトゥーシュ村の別のノマド宅でやってもらった。そのときは、どのように家畜を絞め、どう食べるのかという点に興味があった。しかし、今回はイハルフ家の家計の助けになればと考え、一匹買うことにした。イハルフ家では1月、羊40匹が死んだため、今年はまだ一匹も市場で売っていない(記事はこちら)。また、山羊を買うことで、めったに肉を食べられない子どもたちに喜んでもらえればとも考えた。

 ノマドが自分たちのために家畜を解体することは極めて稀だ。肉は好物に違いないが、肉がついた羊があるなら売ってしまおう、というのが彼らの考え方である。私は一度だけイハルフが羊を屠殺しているのを見たことがあるが、それは、朝、意識がもうろうとし、死を待つだけの状態だった羊を、どうせ死ぬならと、首を切ったのだった。

 山羊1匹の値段は炭代込みで600DH(約7200円)。これを私たち8人で割ると、1人75DH(約900円)となる。解体するのはイハルフ。助手は年の離れた12歳の弟ラッスン(アハマドと2番目の妻アイシャの子どもで。普段は村に住み学校に通っている)が務める。アハマドは焼き係に回る。

 解体する山羊はその日放牧には出さず、片足を縄でくくり、草を食べさせていた。どうせ殺すなら胃の中を空にしたほうがいいのではないかと思うが、死の直前まで食わせてやるのは彼らの流儀なのかもしれない。

 午後1時、山羊はテントの裏にある大きな平岩の上に運ばれた。ラッスンが暴れないように両脚を抑える。イハルフは1時間前から研いでいたナイフを抜き、素早く大動脈を切った。その瞬間、山羊は「ブェ」と低い叫び声を上げ、血が噴き出した。血が止まると、頭部を切断し、四肢の関節を折る。「クシャ」と音が鳴り、意外にも簡単に折れてしまう。次に皮を剥ぐ。ナイフで皮と肉の間に切り目を入れ、手を入れて剥いでいく。最後は人間が服を脱ぐときのように頭からすぽんとぬけた。すると、スーパーで見るようなピンク色の肉塊が現れた。

 腹を割いて内臓の処理に移る。最初に胆嚢が捨てられる。心臓、肺、レバー、胃などをばらし、ひものような小腸の中に入った液状の糞を絞り出していく。その手際の良さに感心していると、イハルフが「あっ」と声を上げた。不注意で小腸を傷つけてしまい、糞が外に飛び出してしまったのだ。小腸は糞まみれになった。しかし、イハルフはやかんからちょろちょろと水をかけて洗うだけだ。水は貴重だからだ。解体でも水をむやみに使うことはしない。その様子を見守っていた誰かがぽつりとこぼす。

 「水が貴重と分かっていたら、下(渓谷)で水を汲んできてあげたらよかった」

 別の日本人が言う。

 「いや、火にかけたらうんこも燃えきるから味はしないんじゃないか」

 「でも、うんこが溶け込んでるんじゃないですか?」

 うんこまみれのまま食べることになるのだろうか、と我々の間に不安が募り始める。

 すると、アフリカを長く旅してきたという本田さんが言った。

 「ベア・グリルスって知ってる?英国の探検家なんだけど、この人は象の糞を絞って水分補給したこともあるらしい」

 「パンダの糞の食えるっていうしな・・・」

 水で洗ってもなお黄土色に染まっている小腸を眺めながら、我々は半ば覚悟を決めた。内臓をばらし終えたのを見届けると、我々はテントの中に移動した。外に浅い穴が掘られていて、アハマドが炭をおこしている。彼らの肉の食べ方は、つまりバーベキューだ。イハルフが肉を切り分け、串にさし、アハマドが炭の中に入れる。網はない。串をそのまま炭の上に置く直下焼きだ。表面はすぐに焼け、アハマドが「食べろ」と勧めてくるが、中はレアのまま。何人かはもう1度焼いてもらう。「うまいうまい」と声が上がる。アビシャとファティマがテントの後ろでじっとこちらを眺めている。皿が回ってくると子どもたちにもいくつか渡す。骨までしゃぶって美味そうだ。

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直下焼きで串を焼くアハマド

 肉の皿が四回りしたころ、鍋で軽く茹でていた内臓一式が運ばれてきた。肺、心臓、肝臓、胃、金玉と一通りいただいていく。我々の懸念だった小腸は、串に巻き付けられた状態で登場した。串から外し、私が一口サイズに切り分ける。やはり匂いが気になった。口に入れてみると、噛み切れないほどの弾力。味もどちらかというと糞の風味が強い気がする。一人はその匂いに耐えられず辞退したが、ほかの人たちは意外にも「うまいうまい」と言いながらあっという間になくなった。肉はまだまだ余っていたが、全員がすでに満足していた。残りは日本人たちとイハルフ家で分け合い、私もタジン用に少しだけいただいた。

 今回、私がひそかに良かったと思ったのは、日本人観光客の姿勢だった。日本人がカメラ好きであることは世界的にも有名だ。それが分かった上で、私は事前に「写真はなるべく控えたほうがいいと思う」と伝えていた。アハマド以外はカメラが苦手だし、死の場面にカメラを向けることに対する抵抗感もあった。しかし、日本人たちは「見る」ことに集中していた。イハルフはそれを気にしてか、何回かシャッターチャンスを作ってくれたくらいだ。もし私の忠告がなくても、彼らは写真や動画を撮ってフェイスブックに上げるような無粋な真似はしなかっただろう。日本人にもイハルフたちにも満足してもらえたようで、私はその日、なにかガイドのような気持ちでホッと胸をなで下ろした