モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

イミルシルの湖畔で⑨初めてのモロッコ

 青い。というのが、イミルシル湖を見たときの最初の印象だった。標高2600㍍から見る空は薄く、周りの山に色がない分、湖の青さが際立っていた。風もなく、無音だった。おしりをふりふりさせて泳いでいる鴨がいなければ、ここが地球であることを忘れてしまいそうだ。しばし見とれていると、反対側に、家のようなものが建っているのに気がついた。ノマドの家だろうか。湖畔に人が住み着いているという話は聞いたことがなかったが、私はその家を目指して泥にぬかるんだ道なき道を歩き始めた。

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 トドラ渓谷の先にはイミルシルという町があり、近くには美しい2つの湖があるという。その湖には伝説があり、恋し合っていた男女が部族の対立によって結ばれず、それぞれ流した涙が二つの湖になったそうだ。日本の昔話にもありそうな、ありふれた話にも聞こえるが、私はこの湖を目指した。湖周辺にはノマドがいると典子さんから聞いていたからだ。ノマド春から秋にかけては家畜を放牧し、冬が訪れる前に砂漠へ移動するという。そして春になるとまた戻ってくる。私がトドラにいたのはまだ2月だったから、イミルシルにノマドはまだ戻っていないはずだが、美しい湖というのも含めて、どんなところなのか一目見ておこうと思った。

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イミルシル湖畔で見つけた家

 その家は、ベルベル人の家に典型的な、石壁の家だった。だが、テレビのアンテナのほか、太陽光パネルが設置されている家を見るのは初めてだった。畑を耕すためのトラクターまである。庭には乳牛と肉牛がそれぞれ3頭ずつ見えた。自然派志向の裕福な人たちだろうか。外国人かもしれない。家から300㍍も離れた場所に石垣が円形状に並べられていて、この先が彼らの私有地であることを私に告げていた。それが本当に境界線ならば、彼らは広大な「庭」を所有していることになる。その庭には100本以上ものリンゴが植えられていた。
 無断で彼らの領地に乗り込むことを躊躇していると、ひとりの男が家から出てきた。ベルベル人だった。さきほど畑仕事していた女性が私を見つけ、報告したのだろう。少し身構えながら待っていると、その中年の男は意外にも、私のことを手招きしてくれた。家では5,6人の子どもと男の妻がニコニコして待っていた。どうやら私は歓迎されているらしい。男は丸太で私の座る場所をつくると、ミントティーを出してくれた。

 しかし、英語を喋れる者はひとりもいなかった。私は彼らがなぜこんな辺鄙な場所で暮らしているのか聞いてみたかったが、かなわなかった。18歳くらいの娘が英単語をいくつか知っていて、私の名前を尋ねた。答えると、家族みんなにそれを伝えてキャッキャしている。私の自転車を指さして、「これで旅しているのか」と聞かれたので、「そうだ」と言うと、一同からため息が漏れた。8歳くらいの少年は私の自転車を気にいったらしく、漕ごうとするのだが、その度に娘が「コラ」と言ってたしなめた。

 しばらくすると、焼きたてのパンが出てきた。ジャムとしてオリーブオイルと蜂蜜も出してくれた。ミントティーと焼き立てのパンは、ベルベル人の歓迎の証だ。みんながニコニコしている中でそれを口にしている間にも、先ほどまで畑仕事や近くで遊んでいた子どもたちが次々と現れ、その輪に加わる。やがて恰幅のいい男がどこからか現れた。その男はスペイン語が話せた。モロッコはフランスの旧植民地だが、地理の関係でスペイン語が話せる人が多い。私も少しならスペイン語が話せる。「なぜこんな辺鄙な場所に住んでいるのですか」。尋ねると、男は「ここは何するにも自由だから。警察もここまでは来ないしね」と答えた。それを聞いて、私はベルベル人が自分たちをよく「自由の人」と誇らしく呼ぶことを思い出した。もっと聞きたいことはあったが、男はどこか行く用事があって急いでおり、すぐに姿を消した。

 日が暮れ始めたころ、私は宿があるイミルシルの町に帰ることにした。帰り際、何かと話かけてくれた娘が近づいてきて、私に手を差し出した。チップをねだっているのだ。私は「まさか」という正直裏切られたような感情を抱きながら、10DH硬貨(約110円)を彼女の手のひらに乗せた。彼女は満足した表情を見せ、母親にそのことを報告しに行くと、すぐに戻ってきた。そして、私に硬貨をそのまま返した。おそらく、母親から、「大事なお客さまから、お金を取るんじゃないよ」とでもたしなめられたのだろう。やはり彼らは私のことを歓迎してくれたのだ。私の心の中には再びさわやかな風が吹き込み、気分よくイミルシルの町に戻った。<続く>