モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

モロッコで買ったiPhone6が壊れた

 iPhone6の電源がつかなくなった…。
 こいつは今年2月ごろにモロッコマラケシュで購入した。16GBで、言い値2万円を1万2000円くらいに値切って買った。きれいな状態だったし、バッテリーも90%くらいあったので、気に入っていた。
 最初は水没か?と思った。最近風呂に持っていったことがあったから。ところが、修理屋に行くと、「基盤が改造されてるね」「水没じゃないよ」とのこと。店主曰く、ジャンク品を改造したものらしい。修理するなら、数万円かけて基盤を取り替えないといけない。
 「安くいいものが買えた」と喜んでいた自分がアホらしい。あのモロッコ人め。帰国して半年以上たつのに、今になって騙されていたことに気づく。

ロバ旅、再び

 4月から働き始めました。ところが、最近、もう一度、長い旅をしようかなあという思いが静かに湧いてきています。今度の旅は、イスタンブールから韓国まで。もちろんロバと徒歩で。はじめは、会社と相談しながら、毎年一カ月くらい休みを取って、少しずつと思っていたが、思い切って一回で行ってみようかなと。

 アフガニスタンを犬と歩いた英国人外交官ローリー・スチュアートは、故郷のスコットランドを散歩していて、ふと「このまま歩き続けたらどうなるだろう」と考え、アジア大陸を横切る旅に出た。私も、ロバと一緒にどこまで歩けるのかやってみたい。ひとりで歩くのはさびしいが、ロバと一緒ならどこまでも歩いていける気がする。何年かけてでも。

写真で振り返る

 写真を整理しながら、旅のことを振り返った。今回旅を始めて4週間でカメラを強盗されたわけだが、実は、犯人二人が帰るとき、(首を絞められていたので)意識がもうろうとしながらも、「カードだけは返してくれ。大切なものだから」と声を振り絞ったところ、それだけは私に返してくれたのだった。今回はその中の写真を一部公開。

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私が通った最も美しいベルベル村の一つ

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道はない。けど川があるところには人が住んでいる

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これも最も美しいベルベル村の一つ。屋上にはトウモロコシが干されている

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遊牧民のヤギ、ヒツジ。お茶をごちそうになった

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背中の重い荷物を下ろし、リンゴをかじって休む少女

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茶褐色の岩山の中、突然目の前に広がったダデス渓谷の緑のオアシス

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冬に備え、ロバに大量の薪を積んで家まで運ぶ

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ロバ道を通って峠を越える。この先に強盗された現場タムダ湖がある











帰国しました

 今月中旬、ぶじに帰国しました。

 前に、遊牧民やロバ旅について、帰国後くわしく報告すると書きましたが、それは今すぐには難しそう。実はいま、この二つを題材に文章を書いています。もともとそんな野望は微塵もなかったんですが、アハマドにロバをプレゼントするためトドラ渓谷に戻ってきて、警察に止められてるときに、これはもしかしたら物語として書けるのではないかと思ったのがきっかけ。

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強盗致傷被害に遭ったタムダ湖(ワルザザート州)。ここでカメラを失う

 ロバとの旅は今振り返ると、面白かった。もともと動物好きでもなんでもなく、ただ荷物を運ばせるために買ったのだが、もの言わぬ友人として私を支えてくれた。土の道に響く蹄の音は、いつも私に落ち着きと安心感を与えてくれた。孤立した山中で強盗にあったとき、もしロバまで盗まれていたら、そもそもロバを連れていなかったら、旅を続ける気力は湧いてこなかったかもしれない。それだけ今は愛着を感じている。というようなことをこの前フェイスブックに書いたら、友人から「毎日叩いていたくせに」と突っ込まれた。確かにその通りで、旅の間は心の底からこいつはアホなんじゃないかと思っていたし、道草ばかり食うので毎日のように怒りを爆発させていた。ロバに愛着を感じ始めたのは、トドラ渓谷に着いてから、つまり旅を終えてからだ。

 それでもまたロバと旅したいと思う。今度はアラビア語をきちんと勉強して、モロッコからエジプト、シリア、そしてアジアへ、そんな旅を何年もかけてやったら楽しいだろうな。

モロッコの首都

 カサブランカマラケシュは知っていても、ラバトは聞いたことがないという人は多いだろう。ラバトはモロッコの首都である。しかし、人口規模的には国内7位くらい、地理的にも中途半端な場所に位置し、「地球の歩き方」には中ごろになってようやく登場するくらいぱっとしない都市なので、時間にゆとりのある旅行者でもスルーする人が多い。私もこれまで行こうと思ったことはなかった。しかし、友人に会うため行ってみて、想像以上の居心地の良さから、一週間も滞在してしまった。

 その理由の一つに、飯が安くて美味かったことがある。ふらりと入った安食堂のハリラやタジンで外れを引いたことがない。港町だけあってシーフードも新鮮だ。メディナ(旧市街)は活気がある。スーク(市場)もマラケシュのような観光客向けの場所に成り下がっておらず、細い路地は野菜や果物にあふれ、地元民でごった返している。観光的な見どころもないわけではなく、白と青で統一された家々が並ぶ「ウダイヤのカスバ」やローマ遺跡は一見の価値がある。大西洋側にはビーチもあり、潮の香りを楽しみながら歩くのも楽しい。首都だけあって映画館や美術館もあるので長居するにはもってこいの町だ。

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ローマ遺跡は今はコウノトリの大営巣地になっている。Tripadviserを見ても、ほとんどの人が遺跡ではなく、コウノトリについて書いている(笑)

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港町だけあってシーフドは安くて新鮮。魚のタジンもある

 ここでは、ベルベル人はきわめて少数派だ。やはり条件のいい平地にはベルベル人はほとんどいないんだな・・・と実感した。ましてや首都、アラブ人がまだまだ支配的なのだ。ラバトを含むアトラスの北側は高速道路も電車もある。都市ではトラムが走っている。だがベルベル人が多い南側には何もない。この国でも南北格差は大きな課題だ。民族衣装ジュラバを着ている人は一週間でたった一人しか見なかった。またロバも一頭も見当たらない。メディナの路地は狭いので便利なはずだが、もしかして通行が禁止されてるのだろうか。

「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」を読む

 今回、モロッコではひたすらダラダラしようと思っていたので、日本の実家からモロッコに宛てて本を何冊か送ってもらっていた。そのうちの一冊が英国人ローリー・スチュワート氏の「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」。これがすごく面白い本だった。

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 著者は2002年、タリバン崩壊後のアフガンに入り、ヘラートからカブールまで5週間かけて徒歩で旅行した。電気も水道もない辺境を歩きながら、イスラムの宗教観や異部族同士の確執、戦争に翻弄される市井の声を拾っていく。途中、雪山で凍死寸前になったり、足元で地雷が爆発したり、タリバンに背後から撃たれたりするのだが、そんないつ死んでもおかしくない危機的状況にあっても、ユーモアを忘れずに淡々と描いている。

 著者は途中、狼避けとして飼われていた巨大な犬を村人からもらい、バーブルと名付けて旅の道連れにする。イスラム教の慣習で不浄の動物とされるこの犬は、別に愛想がいいわけでもなく、むしろ疲れると動かなくなるので時々ひっぱって歩かねばならない。しかし、バーブルは次第に心を開き、仰向けに寝転がってくすぐってもらおうとする関係にまで発展する。実は著者はアフガンの前にイランからネパールまでの徒歩旅行を完遂しているのだが、犬がいたことで、この旅は特別な意味をもったのではないだろうか。

 私自身は、別に動物が好きとか、ロバがかわいいとか、そういう理由でロバを手に入れたわけではなく、アトラスを横断するには単純にロバ道を通らざるをえないので道連れにしただけだった。すぐに道草を食ったり、目の前でオナラを吹かされたり、気分が滅入ることもあったが、今振り返れば、ヤツの存在は心強かった。物言わぬ私の旅の唯一の目撃者として、友情さえ感じていた。私は最初、夜の間に杭を引き抜いて脱走されることを恐れていたが、ヤツには全然そんな気はなく、杭が抜かれたことは何度もあったが、それは周辺の雑草を思う存分口にするためなのであった。もしロバがいなければ、強盗にあった時点で旅をやめていたかもしれない。

 本の中で驚いたのが、アフガンも含めてイスラム圏では土地の人が次の村まで案内するのが彼らの作法であると述べていたことだ。これは新鮮だった。私もモロッコを歩く中で、村人が私の道案内を買って出たり、警察が車で警護したりしてくれたことがあった。感謝することもあったが、自由が制限されるため厄介に感じることもあり、激しく拒絶したこともある。彼らは「あなたの安全のためだ」と繰り返していたが、愚かな私は「必要ない」と言い切り、彼らを困らせた。その後、北欧人二人が殺害される事件が起きて、警察や村人たちが私の旅にしつこく干渉してきたのは、私の身を心底心配してくれたからだと思うようになった。しかも、それはムスリム伝統の彼らなりの旅人へのもてなし方だったのだ。著者自身は治安当局の警護には拒否感を示しながらも、土地の者の同行には心を許している。その余裕ある態度や人との接し方を読むと、僕とは人間の出来が違うなと思わせられる。

アトラスの最奥部

 この冬のモロッコはやはり暖冬のようで、まだ一月末だというのに、アーモンドのピンクの花が満開に咲いていた。

 先月28日、ハンガリーブダペストからマラケシュへと飛んだ。そして私のパスポートには四つ目となる入国スタンプが押された。入国審査では、審査官から「君はベルベル人かい」と聞かれた。ベルベル人の民族衣装ジュラバを着ていたからである。周りを見渡しても、ジュラバをまとった人は一人もいない。

 初めてモロッコにきたときは自転車で全土を旅した。ニ度目は遊牧民と生活をともにした。三度目はロバと徒歩旅行した。しかし今回は特に目的があるわけではない。ただ、アトラスの空気を最後にもう一度、心ゆくまで満喫しようと思っただけである。

 マラケシュに四泊した後、バスと乗合バンを乗り継いでオートアトラスの最奥部ザオイア・アハンサル(Zaouia ahanzal)という村にやって来た。実はロバと旅してるとき、ダデス方面からロバ道を使ってこの村を通る計画を立てていた。そのためのガイドも手配していた。だが大雪のせいでジョンダルミに強く止められ、ルート変更を余儀なくされていた。そうした経緯があったので、この村の訪問はとても楽しみにしていた。

 同じベルベル人でも「まるで別の国のようだ」と言う人さえいるザオイア・アハンサル。もちろんネットには情報がない。一体どんな場所なんだろう・・・いろいろ想像が掻き立てられた。乗合バンは雪に覆われた標高2700メートルの峠を越えていく。見渡しても集落はおろか民家さえなさそうなのに、乗客はひとり、またひとりと降りていく。出発したときは満員だった乗客が残り四人になったころ、ようやく村が見えてきた。

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 村は、想像と違わぬ、美しいベルベル人の村だった。最も大きな音を発しているのは川。次にロバ、ニワトリ、小鳥、ヒツジ、ヤギ。その中で村人たちは静かに、ひっそりと暮らしていた。どの家もロバを飼っており、週一回の青空市場の日には百頭以上のロバが駆り出される。その光景は圧巻である。私はその中を歩きながら、こいつは毛並みがすげー綺麗だなとか、あいつは目ヤニがひどいなとか、いちいちチェックしていく。それがまたこの上なく楽しい。やっぱり、ロバはかわいい。もう一度、ロバと旅したいと本気で思う。