モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

遊牧民の"家"へ

 ヤヤと連絡がとれなくなったため、別の手段をとることにした。私には一つの当てがあった。それは、マアミドについて事前に調べていたとき見つけた、ある夫婦の世界一周ブログだった。その夫婦は、マアミドのホテルで値切りに値切った結果、シェガガ砂丘の1泊2日のキャンプに通常より4割ほど安い1100DH(約1万4千円)で参加したらしい。乗ったのは、観光客用のオートクルーザーではなく、ピックアップトラックで、遊牧民の家や別のキャンプ地に食料などを届けながら、自分たちのキャンプ地に送り届けてもらったという。つまり、いわば砂漠の「何でも屋」に便乗させてもらうことで、格安でシェガガまで行けたというのだ。

 この何でも屋を探し出すことができれば、私も格安でシェガガに行くことができる。これまで仲良くなった村人たちに、ブログに掲載されていたトラックの写真を見せてみた。すると、誰もが「ああ、イブラヒムの車だな」と口をそろえた。しかし、運が悪いことに、イブラヒムはその日すでに砂丘に向けて村を出発していた。今日はキャンプ地に1泊し、明日戻ってくるという。私はすぐにでも出発したい気持ちだったが、イブラヒムがいないのなら明日まで待つしかない。

 茶でも飲もうと村の中心部にあるカフェテリアに向かった。その手前で、青の民族衣装を着た男に話しかけられた。

 「何か困っているのかい。最近よく見かけるけど」

 男はハッサンと名乗り、向かいのツアー会社で働いているという。

 「格安でシェガガまで行ける車を探している。やっと見つけたんだけど、出発するのは明日になりそうだ」

 すると、ハッサンは

 「それなら、今日これからシェガガに行くドライバーを知ってるぞ」

と驚くべき事実を告げた。時刻はすでに午後4時を回っていた。こんな時間から?と思ったが、ハッサンによると、ドライバーはキャンプ地で一晩過ごした後、翌朝に観光客を乗せてマアミドまで戻ってくるのだという。

 「いくら払えるんだい」

 「200DH(約2400円)」

 「大丈夫だと思う。ドライバーに電話してみよう」

 そのドライバーは、今日の昼ごろ観光客を砂丘まで送り、いまマアミドに戻るため車を走らせているらしい。つまり、この日は2回も砂漠と村を往復するというわけだ。ハッサンもまた遊牧民出身の男だった。観光客相手の商売をしているわりには、ガツガツしたところがなく、落ち着いた物腰で話をする。「遊牧民の学校に行くつもりだ」と言うと、「そこの先生は僕の友達だ」と言う。

 「彼に電話で話をしておいてあげるよ」

 「砂漠で、電話が通じるの?」

 「うん。砂丘の近くに大きな電波塔が立っていて、周囲であれば電話が通じるんだ」

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ハッサンのピックアップトラック

 午後5時ごろ、ドライバーが帰ってきた。彼の名前もまたハッサンというらしい。車はやはりピックアップトラックだった。ハッサンは最初、「300DH」と言い張ったが、すぐに250DHで互いに妥協した。内心はもっと安くなるはずだと思ったが、すでに日が暮れかけていたこと、紹介してくれたハッサンに悪いと思ってしまったことで、つい折れてしまった。ただし、私を降ろすのは砂丘のキャンプ地ではなく、遊牧民の学校にしてもらえることになった。先に金を支払い、その金でトラックにガソリンを入れる。私の自転車を荷台に乗せて、出発した。ツアー会社のハッサンには、車を紹介してくれたチップとして50DH札を渡そうとしたが、受け取ってくれなかった。彼は小さなオフィスから名刺を持ってきて、「困ったことがあったら、いつでも電話して。そして、もし君がその気なら、マアミドで一緒に商売しよう」と言って笑った。

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放牧されたラクダの群れ。砂漠といっても、ところどころに豊富な草が生えている

 マアミドから一歩出れば、岩と石の世界が地平線まで続いている。観光客を乗せた車が一日に何台も通るから、轍の跡が自然と道になり、シェガガに行くには、その道を辿っていけばいいらしい。しかし、ときどき風で運ばれた砂が堆積していると、タイヤは空回りして、一瞬ひやりとさせられる。出発してしばらくは、菜の花畑のような風景もあり、放牧されたラクダが食んでいた。途中、一匹のロバが前方からこっちに向かってゆっくり歩いてきた。二本の前足は、ひもで結ばれている。遊牧民の家から、脱走してきたのだろうか。自由を求め、夕日に背を向けてトボトボ歩く一匹のロバ・・・。

 出発して1時間もたつと、辺りは暗闇に包まれた。ハッサンはライトをつけるが、光に照らされるのは前方2メートルだけで、私の目ではどこに轍の道があるのか分からない。上空を雲が覆い、月明かりはない。ハッサンは「明日は雨が降る」と言った。あまりに何も見えないので、深海を潜水艦で進んでいるような気分だ。

 午後8時ごろ、ハッサンは道から外れ、固い地盤の荒野に出た。何かを探しているようだが、見つからないらしい。「ここに学校があったはずだが、ないな・・・」。ハッサンも普段は村と砂丘の往復だから、案外、その外部の地理には詳しくないのかもしれない。地面は大小さまざまな石が転がっており、低速で走っても車は大きく揺れる。やがて弱々しい光が遠くに見えた。全くの闇なので、それは遠くからでも目立った。ハッサンはそこに向かって車をゆっくり走らせ、一軒の家の前で止まった。

 「ここが、学校?」

 「いや、遊牧民の家だ」

 車の音に気付いて、家の中から数人の人間が出てきた。ハッサンが話をする。

 「学校は、別の場所に移動したらしい。でも、ここから近い」

 「できれば学校まで乗せてほしいんだけど」

 「お前は自転車を持っているだろう。行くなら明日だ。10キロもないから」

 約束は「学校まで送り届ける」だったが、たしかに、たとえ10キロでも、夜の砂漠の運転は大きな危険が伴うことは、私にも分かった。10キロなら自転車で行けるだろう。何日かは、この遊牧民の家で過ごしてみようか。ハッサンに通して、ここでテントを張ってもいいかと聞いてみた。1日50DH払うが、その代わり、ときどき、お茶とパンが欲しいと。年長の男は、すんなりと受け入れてくれた。ハッサンは、「今日は俺はよく働いた」と言ってニヤリと笑い、暗闇の中に消えていった。

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私がお世話になった遊牧民の家。翌日撮影

 その家は、石造りの平屋だった。天井に太陽光パネルを設置し、夜だけ豆電球が使えるようにしているらしい。倉庫のような一室にテントを張らせてもらった(翌日からは外に移動した)。星は出ていない。風もなく、静かで真っ暗な世界が広がっていた。ときどき、遊牧民のテントの中から、笑い声が聞こえる。すると、英語が聞こえてきた。その日は、ドイツ人の老夫婦も泊まっていたのだ。やがて2人がテントから出てきて話しをしたところによると、はじめは砂丘のキャンプ地で過ごしていたが、スタッフから「この近くに、遊牧民の親戚が暮らしている」と聞き、興味を惹かれて、今日の午後、ラクダに乗って1泊のつもりでやって来たらしい。

 私は言った。

  「ここが砂漠だなんて、信じられません。真っ暗で、周りに何があるのか分かりませんから」

 「明日には、驚くと思うよ。目の前に、大きな砂丘(big dune)があるんだから」

 今は何も見えないが、シェガガ砂丘はここから10キロほどしか離れてないらしい。

 その日は、ドイツ人の奥さんの誕生日だった。私がテントに戻った後、キャンプサイトのスタッフが車でやってきて、サプライズとしてウエディングケーキを持ってきたらしく、歓声が上がるのが聞こえた。

 ここは、観光客がよく来るような場所なのだろうか・・・。しかし、その心配は杞憂だった。私は結局、ここに1週間滞在したが、その間、観光客は誰も訪ねてこなかった。ドイツ人夫婦の訪問は、やはり稀なことだったのだ。砂漠の中にぽつんと佇む遊牧民の家での生活が始まった。