モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

最果ての村

 ザゴラからマアミドまでの約100キロを、私はタクシーで行くことにした。とはいえ、この二つの町を結ぶ一本道に、車がそう多く走っているわけではない。マアミドから先は町もないから交通量は限られている。この日は朝からザゴラ近郊でスークが立っていた。ときどき天井に野菜や家具などを満載したタクシー通り過ぎていくが、どれもスーク帰りの客で満員だった。やっとタクシーが止まってくれたのは、私がその場所に立ち始めてから一時間を過ぎていた。はじめは私の目の前を猛スピードで駆け抜けていった。だが、すぐにスピードを落とし、100メートル先で急停止した。私が駆け寄ると、車内はやはりスーク帰りの客で満員だった。彼らは不安そうに私のことを見ている。鼻の下に髭をたくわえたドライバーの男は窓から顔を出し、「どこまで行きたいんだ」と私に訊いた。

「マアミドまで。いくら?」

「50ディラハム(約600円)」

 私はモロッコに来て以来、どうも値切り癖がついてしまったらしい。

「40ディラハムにしてよ」

 他にも客が待っているというのに、いつものように値下げ交渉を始めてしまった。しかし、男の言い値は掛け値なしのものだったらしく、応じる様子はない。モロッコで値段交渉はつきものだが、値段を決めるのは、買い手と売り手のどちらがより強く買いたい(売りたい)と思っているかだ。ドライバーの男は、車内は既に満員だから、私が乗っても乗らなくても、どちらでも構わないと思っているかもしれない。対して私は、一時間待ち続けてようやく止まってくれた一台に、なんとか乗りたいと思っている。こちらが不利かもしれないと思ったが、ドライバーの男は、値下げに応じる様子は見せないものの、言い値でなら乗せてやるという意志がひとひしと感じられた。男も、私を乗せたいと思っているのだ。だからこちらも強気で攻めた。男は怒って私を置き去りにして出発してしまった。だが、タクシーは50メートル先で止まり、男が運転席から出てきて、「まいった」とでも言うかのように、私を手招きした。交渉事は、相手が一度背を向けてから始まる―。私はそのことを、改めて実感した。モロッコ人は、自分の言い値が受け入れらなければ、一度、交渉を打ち切る。しかし、それはあくまで「ふり」であり、相手の言い値が、少しでも自分の利益になるのであれば、最終的には受け入れざるをえない。たかだか10ディラハム(約120円)の攻防だが、私には値段のことよりも、そうしたモロッコ流の交渉がいちいち面白かった。

 タクシーはタグニットという町で客を全員下ろし、マアミドまで行く客は別のタクシーに乗り換えた。その車内で、砂漠の元遊牧民だという男に出会った。年齢は20代半ば、高知県出身の日本人女性と付き合ったことがあるらしく、懐かしくなって話しかけてきたらしい。私が遊牧民調査のためにマアミドに行くのだと知ると、男は、身を乗り出して相談に乗ってくれた。男によると、砂漠の遊牧民はここ20年でかなり減ったが、会いたいのであれば、シェガガ大砂丘に行けばいいという。その近くに何家族か住んでいる。もし行くなら、ドライバーを紹介してやろう。男は、「砂漠はいいぞ・・・。砂がどこまでも広がっていて、いつもリラックスした気分でいられる」と何度も繰り返した。

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アミドの町並み。泥を固めて作られた家が並ぶ

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村の外れで身を寄せるラクダたち。遠くで砂嵐が吹き荒れ、地平線がかすんでいる

 マアミドのメーンストリートにはカフェやツアーを斡旋する会社のオフィス、土産物屋などが10軒以上連なっていた。観光客の姿もちらほら見かける。彼らの目的はただ一つ、ここより西方70キロにあるシェガガ大砂丘である。時間と金にゆとりのある人たちはラクダで、そうでなければ四駆自動車に乗って、砂丘の中のキャンプ地を目指す。途中何泊もキャンプを重ねるラクダツアーより四駆自動車の方が格安だが、それでも、正規のツアー会社に頼めば、どんなに値切っても1人1200DH(約1万4400円)はくだらない。

 カフェのオープンテラスに、男から電話を受けたドライバーのヤヤが座っていた。ヤヤもまた、遊牧民のもとで生まれ育った男だった。ヤヤによると、彼の家族は砂漠を移動しながら生活しており、今はシェガガの近くにテントを立てて放牧生活を送っているという。ヤヤ自身はマアミドで観光客相手の商売をしているが、ときどき野菜や小麦などを車に乗せて、家族のもとに運んでいるらしい。しかも、それは明日だという。うまい話だなと思いつつも、私は「200DH(約2400円)払うから、便乗させてくれないか」と頼んでみた。正規のツアーに比べると値切りすぎだが、私が乗っても乗らなくてもヤヤは明日出てしまうのだから、200DHは彼にとっても臨時収入になる。ヤヤは承諾した。私はさらに尋ねた。「君の家族にはいくら払えばいいだろうか」。するとヤヤは、「1泊300DH(約2400円)」と答えた。私の予算を超えていた。私は、「食べ物は自分で用意する。テントや寝袋、毛布も持っていく」と言い、「だから、1泊50DHにしてくれ」と迫った。トドラ渓谷では1泊につき30DH払っていた。ここで20DH多めに出そうと思ったのは、トドラ渓谷では食べ物や水がなくなっても自力で山を下って補給できることに対し、村から70キロ離れた砂丘あたりではそれが不可能で、万が一のときは彼らから分けてもらうことがあるかもしれないと思ったからだ。そうなったとき、少し多めに金を払っておいたほうがあとあと禍根を残さないだろう。ヤヤの言い値は、朝夕食込みの値段だったらしく、私の言い値はすんなり受け入れられ、「それでは明日の2時にここで落ち合おう」と約束した。

  その日の宿を探すため、村の中を歩いてみた。10分も歩くと、村の外れに出てしまった。アスファルトの道は突然途絶え、そこから先は岩と石の世界が地平線の彼方まで続いている。「最果ての村」―。マラケシュから南に450キロ、国道9号線の終点でもあるマアミドは、地球の歩き方に、そう記されているが、その日は風が強く、小さな砂嵐があちこちで起きていた。そのせいで、地平線は白くかすんで見える。しょっちゅう砂が目の中に入り、まともに歩くことができなかった。あの砂嵐の向こうで遊牧民たちが暮らしているのか・・・。もともと自転車で単騎砂漠に突入しようと考えていた私だが、いま砂漠の中に入ったら、たちまち方向感覚を失ってしまうだろう。

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「最果て」のスーク。地元民だけでなく、観光客の姿も目立っていた

 翌日は、朝から村の入り口でスーク(青空市場)が立っていた。私は少なくとも1週間は砂漠に滞在しようと思っていたから、ジャガイモやピーマン、トマト、ズッキーニ、ナス、ミカン、リンゴ、ナツメヤシの実を1キロずつ買い込んだ。さらに商店で水のペットボトル7.5キロと、パンを6枚、ビスケットを買い、ヤヤを待った。しかし、ヤヤは約束の時間に現れなかった。携帯電話に電話すると、「砂漠に行くのは明日になった」という。私も別に急いでいるわけではない。その日はスークをゆっくり見て回ったり、カフェで知り合った村人らと話をしたりして過ごした。ところが、翌日になっても、ヤヤは来なかった。携帯電話に電話しても、アラビア風の着信音が流れるだけで、反応がない。私を置いて既に砂漠に向かったのか、あるいは再び都合が悪くなってキャンセルしたのか。何度電話しても応答はなかった。村人たちに相談しても、ヤヤという男は村には何人もいるらしく、「どのヤヤだ?」と頭をひねるばかりだ。電話番号を教えても、誰も知らないという。私もヤヤについては、元遊牧民でマアミド在住、という以上のことは分からない。その日は結局ヤヤとは連絡がとれず、その次の日も電話はつながらなかった。