サガロの奥深くへ
「山脈」というと、「緑深い山々」というイメージを持っていた。しかし、モロッコのサガロ山脈は、水気がない、木一つ生えていない荒涼とした土地だった。山というより、砂漠。サガロとは、ベルベル語で「干ばつ」を意味するという。それでも稀に湧水があり、川があり、人々はオアシスを作って暮らしている。
サガロ山脈の麓、イガズン村からイグリ村に続く道は、意外にも広々としていた。未舗装道路だが、車がすれ違えるほどの十分な幅がある。しかし、車は40キロの道中、一台しかすれ違わなかった。
この道で目を奪われたのは、奇岩だった。地面から空に向かって突き出た岩や、のっぽ状のテーブルマウンテン。モロッコ南部では、砂漠性気候に由来する独特の景観をよく目にするが、サガロの奇岩群は一歩突き抜けているような感じがした。人もほとんど住んでいない、だだっ広い砂漠の中に、巨大な円柱がぽつんとそびえ立っている。なにも知らずにここに来たら、誰もがこの独特すぎる景色に打ちのめされるだろう。
イグリまでの道沿いには、4つの遊牧民家族が住んでいるという。イガズンで泊まった宿の男は具体的に「4家族」と教えてくれた。しかし、私は1家族しか見つけられなかった。それは、イガズンから1キロほど離れた谷間にあった。石を積み上げて塀をつくり、中にテントを張った「家」。すぐそばに同じように石を積み上げて作った羊のサークルがある。トドラ渓谷でもよく見られるような典型的な遊牧民の家だ。普段はここで放牧生活を送りながら、月に何度か、イガズンから乗合タクシーでネコブまで行き、羊を売ったり食糧を買ったりしているのだろう。
羊はすでに放牧に出ていた。中年のベルベル人女性が外で洗濯物を干している。自転車に乗っている私の存在に気付くと、不審そうに見ている。子どもがいる気配はなかった。私はもともとサガロでも縁があれば、何日かホームステイしたいと思っていたが、女性の強い警戒心を感じて諦めた。生活スタイルも、トドラ渓谷の遊牧民と大きく変わらないだろう。サガロは通り抜けるだけにして、予定通りサハラ砂漠に向かうことにした。
少し離れた場所では、高校生くらいの少女が60匹ほどのヤギを放牧しているのも見たが、さっきの家のメンバーだったのだろう。別の場所でも、過去に遊牧民が住んでいたと思われる石の残骸や、石造りの家があったが、誰かが住んでいる様子はなかった。「サガロは昨年、雨が降らなかった」―。イミルシル村で宿を営むゼイから、サガロに行く直前に電話で教えてもらったが、本当だったのだ。イミルシルの遊牧民は例年、夏は標高2500メートルの高地イミルシルで遊牧し、冬はサガロに向かう。しかし、この冬はサガロではなく、反対側のケニフラに出ているという。目の前にある石の残骸や石造りの家も、もしかしたらイミルシルの遊牧民のものなのかもしれなかった。
辿り着いたイグリ村は、本当に小さな村だった。背後に独特のテーブルマウンテンが村を見守るようにそびえ立っている。家は10戸もなかった。小川がちろちろと流れており、小さな畑もあるが、作物は植えられていない。誰も住んでいないのかもしれなかった。遊牧民と同じように、雨が降ったときだけ人が暮らすのだろうか・・・。しかし、一匹の犬が、私が村に入る前から、ずっと吠えているのだった。犬が一匹だけで生きられるはずがない。誰かが住んでいるはずだが、人けはない。村は眠っていた。その不思議な村で、犬は私が離れた後もしばらく吠え続けていた。