モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

50年に一度の大雪

 朝、雪が落ちる音で目が覚めた。ドアを開けると、猛吹雪。昨夜は雪など全く無かったというのに、一晩にして、ひざ丈まで積もっている。強風で目も開けていられないほどだ。1月29日。モロッコ南部では50年ぶりの大雪が降った。私はトドラ渓谷から75キロ離れた、タザゼルト山(Tizi n'Tazazert、標高2300㍍)にある一軒宿にいた。

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50年ぶりの大雪の中、自転車を押しながら進む

 その前日、私はアハマド家のホームステイをいったん中断し、山を下りた。砂漠に行こうと思ったのだ。砂漠のノマドはどんな暮らしをしているのか見てみたかった。当てはないが、とにかく行けば、誰かの紹介でホームステイ先が見つかるだろう。まずはサハラ砂漠の入り口、ザゴラ(Zagora)を目指すことにした。交通手段はもちろん、ウジダで買ったマウンテンバイクである。

 ティネリールの郊外にあるグランタクシー乗り場に着いたのが正午ごろ。グランタクシーとは、乗客が満員になったら出発するタクシーのことだ。駐車場に10台くらい待機していて、それぞれ目的地が決まっている。私は屋根に自転車を載せ、イキニウン(Ikniouen)行きのタクシーに乗り込んだ。

 イキニウン―。この町の名前を知っている日本人はほとんどいないだろう。サガロ山脈の山深くにある標高2千㍍の町だ。このサガロという地名は、日本のガイドブックには載っていないので、私も最近まで知らなかった。だが、タムタトゥーシュの元ノマドの青年から「僕の生まれはサガロだ」と聞いたり、イミルシルでは「この辺のノマドは冬はサガロに移動する*1」と教えてもらったりしたので、何となく行っておきたい場所ではあった。サガロとは、ベルベル語で「干ばつ」という意味らしい。サガロを越えた先に、ネコブ(Nkob)という町があり、さらに南に下るとザゴラが見えてくる。しかし、イキニウンからネコブの道路はピスト(舗装されていない砂利道)で、しかも相当な悪路だそうだ。四駆であれば通れないこともないが、自転車で行くというと、誰もが「不可能だ」と私に忠告した。しかし、私は、そうしたエリアにこそ遊牧民が暮らしているのではないか、とも思っていた。

 しかし、イキニウン行きのタクシーがなかなか満員にならない。既に私を含め3人の客がいるが、あと3人が集まらず発車できないのだ。最初は乗客からベルベル語を教えてもらって暇を潰していたが、1時間もすると、さすがに暇を持て余してきた。結局、3人の親子連れがやって来て、タクシーが出発したのは午後4時を回っていた。

 イキニウンに到着したのが午後5時ごろ。一応、町の人にネコブ行きのタクシーが出ていないか確認すると、やはり無いという。「道が悪すぎてタクシーも走れないよ」とのことだ。この町で1泊してもよかったが、私は少しでも先に進んでおくことにした。意外にもイキニウンから先もアスファルト道路が伸びていた。だが、10キロも進んだところで、本当にこの道路がネコブ行きなのか不安になってきた。小さな集落があったので、通りがかりの青年に聞いてみた。すると、やはり道を間違えていたことが分かった。5キロ手前のT字路で左折しなければならなかったのだ。青年は近くの小学校まで私を連れていき、スマートフォンで地図を見せてくれた。モロッコの田舎では、小学校が唯一のWifiスポットになっていることが多い。

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イキニウンとネコブを結ぶピスト(砂利道)

 T字路まで引き返した。車が一台かろうじて通れるだけのピストが山に向かって伸びていた。これまで何度もピストを走ってきたが、その中でも指折りの悪路に見えた。上れるところまで上って、峠に着いたらテントを張ろうと考えた。ヘッドライトを点灯して、自転車を漕ぎ始めた。だが、すぐに傾斜がきつくなり、足場も岩だらけだったので、私は諦めて自転車を押して歩くことにした。道の右側はわりと開けていて、ときどき、ぽつんと光が見える。やはりここは遊牧民の土地なのだ。

 2時間経ったころ、目の前にまぶしいほどの光を放っている一軒の家が見えた。「Gite de Etappe Tizi Tazazert」と書かれた看板。観光客が来るような場所には思えないが、宿らしい。犬が激しく吠えたてている。どんな人が宿をやっているのか興味が出て一泊することにした。入り口に行くと、犬の鳴き声に気付いてか、20代前半くらいの青年が立っていた。信じられないといった顔をしてこちらを見ている。「泊まりたいのですが、部屋はありますか?」と聞くと、青年はうなづいた。

 「一泊いくら?」

 「150DH」

 「夕朝食込み?」

 「イエス

 150DHといえば、日本円で約1750円。モロッコ南部では平均的な値段だが、古い外観や狭い部屋を考えると、もう少し値切れるような気がした。「もう少し安くなりませんか。何なら、部屋ではなく外にテントを張って寝ますから」。そう提案すると、すんなり100DHまで下がった。青年はユセフと名乗った。すでに台所では叔母のファティマがタジンを作っていた。「一緒に食べよう」とユセフが言った。「一緒に?」「うん」。ユセフとファティマのために作ったタジンを私を含めた3人で食べようというのである。宿に泊まって、宿主の家族から夕食をシェアしようと提案されるのは、これで2回目だ(もうひとつのアトラス越え)。前回も、夜遅く着いたこと、宿代を値切っていた経緯があった。日本人感覚が抜けきらない私からすれば、信じられないことだが、モロッコでは案外普通なのかもしれない。タジンを囲みながら、ユセフに聞いたところによると、宿は父が10年以上前に開いたが、いつもはイキニウンにいること。観光客はやはり稀にしか来ないことを教えてもらった。

 そして翌朝。50年ぶりの大雪を前に、もし昨夜テントで寝ていたらと思うとゾッとした。テントが雪に埋もれて外に出られなかったかもしれない。車もまず通らないだろうから、最悪の場合、凍死していただろう。私は今日出るのを躊躇っていた。ユセフに確認すると、当然、除雪車は出ないので、雪が解けるまで待つしかないという。朝食も小さな台所の地べたに座って3人で取った。固いパンと味のしないスープ、ジャムだけの簡素な食事。これで100DHは高いと思ったが、僻地だから高望みはできない。

 ここでもう一泊しても仕方がない。私はそう思い、ネコブを目指すことにした。ネコブまで約40キロ。どこまで雪が積もっているかは分からないが、とにかく前に進めば道は切り開けるだろう。「今日出るよ」と言うと、ユセフもファティマも、顔を曇らせた。「バイ」。彼らが私に発したのは、ただその一言だけだった。

 

 

*1:後に、昨年はサガロは雨がほとんど降らなかったため、反対側のケニフラ(Knifra)に行っていると聞いた