モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

「ノマドはつらい」

 ノマドにインタビューしてみようと、日本を出る前から考えていた。ノマドは自分たちの生活をどう思っているのか、彼ら自身の言葉で聞いてみたい。しかし、私はまだベルベル語が堪能ではないので、ティスギ村にすむベルベル人に通訳を頼むつもりだった。そこで今回、お願いしたのがカマルという十六歳の少年だった。しかし、それは失敗だった。結果的に言うと、私はインタビューの内容よりも、イハルフやアハマドが村の人間たちをどう見ているのかというところが印象に残った。

 通訳には、三人の候補がいた。第一候補は、大学で英語を専門に学び、今はロッククライミングやトレッキングガイドの仕事をしている二十四歳のイッシャム。イッシャムは典子さんが日本に帰国中、代わりに宿を管理していた若い日本人女性と恋仲になり、実家で同棲生活を始めた男でもある。最近はその新しい彼女に夢中なので、仕事はほとんど断っているということだった。外にほとんど出てこないため、私も会ったことがない。紹介してくれたのは典子さんだが、電話口でイッシャムが私に求めた報酬は、「450DH(約5400円)」だった。

「それは相場よりだいぶ高いな」

「夜に山を下るのは危険だ。誰でもできる仕事ではないからね」

 インタビューは夜に行いたいと言い出したのは私の方だ。イハルフかアハマドは朝早く放牧に出てしまうため、ゆっくりと話ができるのは夕食後ということになる。イッシャムに一泊してもらうことも考えたが、彼女が家にいるからと、それは拒まれた。

「でも、君はトレッキングのプロなんだろう。昼でも夜でも山は君の庭みたいなものなんじゃないか。ノマドもスークの日は暗くてもすいすい下っていくよ」

「もちろん夜でも問題ないさ。でも、この仕事はちょっと特殊だから」

 私が提示した額は250DHだった。しかしイッシャムは400DH以下にはまけないという。私は一旦保留にして、次の候補にあたってみることにした。

 第二候補は、英語は少し怪しいが気のいいアブドゥールというベルベル人男性。だが、彼は隣のタムタトゥーシュ村の人間なので、この辺のノマドに詳しいわけではなかった。 そして、3人目がイッシャムの義弟カマル。いや、正確に言うと、当初は候補にすら考えていなかった。カマルは時々、典子さんの宿でアルバイトしていた。夜、客が全員寝たあとに電気を消し、ドアを閉めるという、ただそれだけの仕事である。カマルは頭はいいらしいのだが、高校を中退していた。ただ英語は達者なので、フランス人からロッククライミングの技術を教わり、ときどきその仕事をしている。

 「あの年でしっかりしてるね」と言う日本人もいるが、私は違う見方をしていた。カマルは人を小馬鹿にする言動をよくとるし、平気でうそをつく。はっきり言って、信用できない人間だった。 しかし、ある日の夜、典子さんの宿で、カマルがやけに真面目にベルベル語を教えてくれたことがあった。私がノマドについて質問すると、きちんと説明してくれる。私は「おや?」と思い、「実はノマドにインタビューするための通訳を探しているんだけど」と切り出した。カマルは乗ってきた。1泊2日で、金額は200DH(約2400円)で合意した。普通のトレッキングの相場が150DH。今回は夕方から登り始め、翌朝に帰ってもらう計画なので、50DHはその割り増し分だ。

 カマルは「友達を誘ってもいい? テントはそいつが持っているから」と訊いた。しかし、私はくぎを刺しておいた。

 「私と君の2人だけで登るんだ。友達が来ても邪魔になるだけだから」

 そういうわけで翌日、午後4時から二人で山を登ることになった。 しかし、カマルは同じ村にすむアリという友達を連れてきた。

「邪魔にならないようにするから。インタビュー中はテントの中にいてもらう。食べ物も自分で持っていく」

「友達には金は払わないからな」

 私は約束を破ったことにあきれながらも承諾した。 山には予定通り午後四時から登り始め、六時半ごろ到着した。羊たちは放牧から帰ってきていて、エサを与え終えたイハルフの姿が見えた。しかし、イハルフはやけに固い表情だった。

「彼らがコータローの友達?」

 私は2日前から、「近いうちに、ベルベル人の友達を連れてくる」とイハルフに伝えていた。

「そうだよ。今日は君と話をするために一緒にきたんだ」

 しかし、イハルフの表情は硬いままだ。 カマルがイハルフに私たちが来たことの意味を説明する。カマルはイハルフの言葉を通訳して言った。

「インタビューは受けたくないって。こっちが質問して、答えるのは嫌らしい」

 想定外の答えだった。カマルは続けて言う。

「アハマドも、今日は疲れているから話はできないって。朝に羊が何匹か死んだらしい」

 私はイハルフがカマルたちを歓迎していないように思えて訊いてみた。

「カマルはトレッキングの仕事で何度もここに来てるんだよね? イハルフと会ったことはあるの?」

「もちろんあるよ」

「何かイハルフは怒っているように見えるけど。どうしたんだろう?」

「君が嘘をついたからだよ。君は日本人の友達を連れてくると言ったのに、僕たちベルベル人が来たから。嘘はきらいだって言ってる」

 なんだと。私はイハルフに「ベルベル人の友達を連れてくる」と言ったはずだ。それは、私はベルベル語をまだ十分に話せないから」と説明も加えたはずだった。しかし、イハルフは私が日本人の友達を連れて、ここで一泊すると思っていたらしい。うまく話が伝わっていなかったのだろうか。とりあえず、インタビューが不可能としても、カマルたちは暗闇の中、山を下れないので、普段は羊たちが夜を過ごす石垣の中にテントを張ることになった。私は心配になってきた。カマルが来たことで、イハルフたちの迷惑になっていないだろうか。しかし、イハルフは何であんなに表情が硬いんだろう。いつもなら、私が村から帰ってきたら「コータロー!」と言って歓迎してくれるのに。私が山を下っている間に何かあったんだろうか。カマルたちがテントを張っている間に、私はアハマドとイハルフがいる岩穴に顔を出した。イハルフは私たちのためにガスバーナーでお茶を作っていた。イハルフは私を見るやいなや、微笑み、言った。「コータロー、ラバス?(元気?)」

 私はその笑顔に救われた気がした。イハルフは続けて言った。

「なんでカマルを連れてきたんだ。あいつは悪い人間だ。コータローはマルハバ(歓迎)、コータローの友達もマルハバ、でもカマルはノーだ。ティスギ村の人間を連れてくるな」

 アハマドも同じことを言った。

「カマルは物を盗む。コータローも気をつけないとだめだ。コータローはセボン(良い)。ティスギはノーセボン」

 そうだったのか、と私は思った。つまり、カマルはイハルフたちに嫌われていたのだ。なぜカマルは嫌われているのか。それは後の行動からもよく分かった。イハルフは、とりあえず私のインタビューを受けることを承諾してくれた。 テント設営に悪戦苦闘しているカマルのところに戻って、私は言った。

「イハルフがもうすぐお茶を持ってきてくれる。話をしてもいいってさ。疲れてるみたいだし、時間もあまりないから、手短なインタビューになる」。 私は続けて言った。

「いいか、インタビュー中は煙草は絶対に吸うなよ。ポケットに手を突っ込んで話をするのもやめろ。失礼だ」

 カマルは家では家族に気を使って煙草は自重しているが、人目につかない場所では吸っているのだ。この日の山登りの最中も休憩のたびに煙をふかし、「典子には言わないでくれよ」と私にしつこくお願いしていた。イハルフがお茶を持ってきた。インタビューが始まった。しかし、私はインタビューは半分諦めていた。通訳のカマルが歓迎されていない以上、彼らから本音は引き出せないだろう。カマルは煙草を取り出した。

「おい、煙草は吸うなと言っただろ」

 しかし、カマルは「イハルフに吸ってもいいか聞いたら、いいと言ってるから」と言って止めようとしない。ところが、イハルフは「子どもが煙草を吸うのはいけない」とたしなめた。カマルはイハルフの承諾がとれたと嘘をついたのだ。やはり、カマルに頼んだのは失敗だった。私は心底後悔した。

 ただ、カマルは通訳の仕事だけはきちんとこなしてくれた。しかし、話はなかなか進まなかった。それは、イハルフがすぐに話題を逸らすからだ。それも、何かと下ネタに移っていく。カマルは「これがベルベル人の男のコミュニケーションだ」と言うのだが、イハルフたちは夜すぐに寝てしまうので、私は気が気でなかった。私たちは、アリも含めて、四人でたき火を囲みながら話をした。イハルフはいつもより一時間以上夜更かしして付き合ってくれた。

 インタビューの時間はあまり取れなかったが、その中でも私にとって印象的だったのは、イハルフがノマドの暮らしを否定的にとらえていたことだった。「ノマドの暮らしで楽しいことはどんなことか」と訊いたときのことだ。イハルフは「何もない」と言った。

「金がないから、家を買えない。だから俺たちは山にいる。楽しいことはない。面白いこともない。強いて言えば、雨が降って草が育ち、ヒツジがよく肥えると嬉しいくらいだ」

「金があれば町に住むということ?」

「金があれば家を建てたい。山の上と違って、暖かいからな。仕事を探して暮らすんだ」

「ヒツジはどうする?」

「庭で4匹くらい育てれば十分だ。犠牲祭(イスラムの重要な祝祭)のときに売れば十分な収入になる」

 イハルフは「ノマドの暮らしはよくない」と繰り返した。私自身は、ノマドの暮らしに多少なりとも憧れを抱き、ここで彼らと生活をともにしている。山の上での放牧は気持ちがいいし、静かな夜も気にいっている。だから、イハルフの意外な告白に私は面くらった。例えるならば、牧場の仕事に憧れて北海道にやってきた若者が、牧場主から「つらいからやめたい」と言われるようなものだろう。

 また、彼がティスギ村の人間をよく思っていないことも意外だった。イハルフは、村人たちを堕落した人間とみなしているふしがある。村人は煙草を吸うし、酒も飲むからだ。イハルフは敬虔なムスリムだから、特に酒については強い拒否感を示す。モロッコイスラム教を国教としているが、酒を好むモロッコ人は珍しくないのだ。大きな町には酒屋があるし、ナツメヤシの実を使った蒸留酒の密造も盛んだ。特にベルベル人はアルコールを摂取すると体質的にすぐに酔っ払ってしまうらしく、暴力的になりやすい。典子さんと宿を共同経営するユセフもよくワインを飲んで酔っ払い、そのたびに客に迷惑をかけている。イハルフもそのことを知っているのか、「酒を飲んだら暴力をふるってしまうだろ」というイメージを持っているらしい。

「俺たちはムスリムだ。酒は飲まないし、たばこも吸わない。パンとお茶、それだけで十分だ」とイハルフは言う。 逆に、村人の中には「ノマドはパンとお茶しか知らない。それで人生なにが楽しい?」と否定的に言う人もいる。

 カマルたちは翌朝、帰っていった。私は「ゴミは村まで持ち帰れよ」と忠告した。それにも関わらず、私たちは後日、空き缶や牛乳パック、菓子袋などのゴミが近くに捨てられていることを発見した。ティスギ村に下りたとき、私はカマルに写真を見せて問い詰めた。 「これは何だ?君たちのゴミだろ」

 しかし、カマルは「違う」「知らない」ととぼけている。ついには、「これが俺たちのゴミだとしても、それの一体何が問題なんだ?」と開き直る始末だ。 私は言った。

「君がもっと誠実だったら、ほかのお客さんに、ガイドとして君を推薦するのに。でも君は誠実ではなかった」

 するとカマルは、「客は別に日本人だけじゃない」と言い、そっぽを向いた。