モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

ツーリズムとノマド

 朝、イハルフが放牧に出かけてひと段落ついたころ、アハマドがやおらにテントの中を掃除し始めた。地面の上の乱れた布を敷き直し、ごみを遠くに投げ捨てる。「ツーリストがやってくる」とアハマッドは言った。

 午前10時10分、ベルベル人のガイドに率いられた観光客11人がぞろぞろと登ってきた。アハマドの家(岩穴とテント。ここでは便宜上「家」と呼ぶ)に着くやいなや、家の写真を撮ったり、ビデオカメラを回したりし始めた。国籍はオーストラリア、イギリス、台湾。カサブランカ発のツアーの一環でトドラ渓谷を訪れたという混合グループだった。

 アハマドの家には、このようにときどき観光客がやってくる。それは、ここがトレッキングルート上に位置しているからだ(下図参照)。ただ休憩を含めると往復5時間以上かかるので、大型バスでやってくる観光客はまず登ってこない。道も分かりづらいため途中であきらめて引き返す人も多い。ガイドによると、このトレッキングツアーは毎週日曜に開催されるらしい。だからアハマドが急にそわそわし始めたのだ。

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トドラ渓谷周辺の地図

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観光客にお茶を渡すアハマド(右)

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一つのコップに少し水を入れ、その水を次のコップに移して洗っていく。彼らにとって水はとても貴重なのだ

 アハマドがコップにお茶を注いでいく。そのときガイドはこう説明する。「このお茶はトドラ渓谷の湧き水を使っています。ノマドはそれを往復5時間以上かけて毎日汲みに行くのです」。観光客たちはその話に少し驚いてみせ、「おいしい」と言いながらありがたそうに飲む。そして、1人につきチップを10DH(約120円)ほど払う。この日は11人だから、110DH。アハマド一家にとって、このお茶代が貴重な現金収入になっている。

 私には気になることがあった。それは、外国人たちのノマドへの近づき方だった。彼らは珍しい岩穴の住居を、アハマドの了解なしに写真を撮っていた。ノマドの子どもたちの写真も同様だった。そこには、断られるかもしれない、という可能性はまったく考慮されていないようだった。いわば、ノマドを見世物として捉えていたように私には感じられた。しかし、実はノマドは写真嫌いな人が多い。単純に写真慣れしていないということもあるが、特にイスラム教徒の女性は、夫以外の男性に素顔を見せてはいけないというイスラム教の戒律によるようだ。モロッコでは過去、外国人が撮ったベルベル人女性の写真が無断でポストカードに使われ、それが原因で離婚してしまったというケースもあったらしい。ズンノも大の写真嫌いで、私もこれまで1枚も撮ったことがない。その性格は子どもであるアビシャやファティマにも受け継がれている。私に対しても、いやなときは「ノー!」と言って明確に拒否を示すことがある(逆に「撮って」とせがまれることもあるが)。しかし、アビシャたちも写真を撮られるとチップやキャンディーをくれることを知っているから、基本的に写真撮影を拒否することはない。

 観光客は、ツアーでやってきているという免罪符も得て、遠慮なしに写真を撮っている。彼らは別に無教養でも横柄でもない。ただ知らないだけである。

 別にいいではないか、観光客はノマドの暮らしを垣間見、ノマドはチップを得る。互いにとって良いことだ、と思うかもしれない。しかし、そうした態度は無責任ともいえるだろう。渓谷に行けば、毎日そこで観光客を待ち構えているノマドの親子が何組かいる。彼らは観光客ひとりひとりに「ディルハム(モロッコの通貨)」と金をねだっている。本来は学校に行く年齢の女の子が朝から夕方まで母親と一緒に金を無心している。ノマドだけではない。渓谷に近いティスギ村の子どもたちも、外国人が乗った車が村中で止まると、ハイエナのように群がり「ディルハムディルハム!」と手を出すのである。このことについて、ティスギ村の青年に「どう思うか」と聞いたことがある。彼は「よくないことだ」として、「観光客は渓谷を楽しみに来ているのであって、子どもたちにお金をあげるために来ているわけではない」と言った。

 その通りだと思う。渓谷の景色を楽しみにしてきたのに、「金をくれ」とせがまれて気分を悪くする人もいるだろう。しかし、そうさせてしまった原因もまた、観光客にあるのである。私は物乞いを否定しない。金がなければ見知らぬ他人の善意にすがって手を差し出さねばならないときもあるだろう。しかし、彼らはノマドなのだ。父親(夫)が放牧に出かけているときに、一日中観光客にまとわりついている母娘を見ると、私は哀れに感じ、悲しい気分になる。貧しくても、心は気高くあってほしい。結局のところ、これは私の単なる願望に過ぎないのだが。

 観光客のカメラは私にも向けられる。ノマドと一緒に暮らしているアジア人。しかも私は普段からベルベル人の民族衣装であるジュラバを身に着け、ターバンを巻いている。私にとってはごく自然な状態だが、彼らからすれば、奇異に見えるに違いない。私に対しては、少し遠くからカメラが向けられる。もちろん私の了解はない。私と目線が合うと、さっとカメラを隠す人もいる。

 私は観光客を反面教師とすることにした。少なくとも私は、ノマドに迷惑をかけないようにしようと思った。そのため、写真を撮るときは次のようなルールを設けた。

<1>写真を撮る前に相手の名前を呼び、撮影したいという意思を示す

<2>撮ったあと、どんな写真なのかを相手に見てもらう

<3>町に下りたとき、写真の何枚かを現像し、手渡す

 たかが写真の話だ。しかし、たかが写真で、ノマドの間で長く守り続けてきた文化との間で葛藤が生じていることもまた確かだ。なにごともコミュニケーションをしっかりとった上で行われれば問題はないと思う。しかし、現実はそうなっていない。