モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

羊飼いの家

  • 8日目 Bab Boudir→Ighzrane

 峠を越えると、高原になった。今日も雲一つなく日差しが暑い。男が道端に寝転んでいた。そばに大きな荷物が置かれている。乗り合いバンを待っているのだ。アトラス山中では、乗り合いバンが村と村を結んでいる。いつ来るか分からないから、道に出てきてじっと待つしかないのだ。地面に肩肘をついてバスを待つベルベル人。この光景は、初めてモロッコを旅したときに私の脳裏にこびりついていて懐かしい気持ちになった。

 丘のふもとに、ぽつんぽつんと石造りの家が見える。どれも羊飼いの家だ。私の目の前に、30歳くらいの男が現れた。目があうと、声をかけられた。「サバ?(調子どう?)」。「とてもいいよ。ありがとう」。私が答えると、握手を求められる。そして、彼は私の手を引いて、自分の家まで連れていった。家の前では、彼の母親が椅子に座って羊の毛を紡いでいた。ほかに妹と恋人、10歳と3歳くらいの弟がいた。私を見ても別に驚いた様子もなく、にっこり微笑み、歓迎してくれた。庭には七面鳥と鶏が放し飼いにされている。子牛も一匹つながれていた。どうやら私は、ベルベル人一家の昼食に招待されたらしい。

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アトラスとジャガイモの料理

 一家ベルベル語しか話さなかった。それでも身振り手振りで何となく意思が通じ合う。青年は「アトラス」と名乗った。いや、アトラスは山脈の名前だから、それが本当に彼の名前なのか確信は持てなかったが、私はひそかにアトラスと呼ぶことにした。私が鶏を指さして、「ベルベル語で何というのか?」と聞いたことを皮切りに、アトラスは身の回りのものを次々とさして、ベルベル語のレッスンが始まった。

 やがてアトラスの妹がジャガイモと人参、鶏肉などをオリーブで煮た料理を出してくれた。まず彼が食べ方の見本を見せてくれる。パンを小さくちぎり、ジャガイモをすりつぶすようにこすりつけて食べる。ジャガイモをパンに挟んで食べようとすると止められ、あくまですり潰して食うのだと注意される。食後には、みかんが出た。これもアトラスがまず皮のむき方を見せてくれるのだが、私が裏返して半分に割ってみせると、「ワーオ」と驚きの声を上げ、もう1つみかんを渡される。日本人なら誰もがやっているむき方だと思うが、世界的にみると特殊なのだろうか。そういえば、道端に落ちてるみかんの皮は細切れになっているものが多かったような気がする。

 家の中も見たいとお願いすると、快く案内してくれた。

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かまどの前に立つアトラス。やかんは真っ黒だった

 礼を言い、家を出た。5分も経たないうちに、アトラスと弟が自転車で追いかけてきた。アトラスは私に尋ねた。

 「今晩はどこに泊まるんだ?」

 「テントをもっているから、どこでも寝られる。疲れたら寝るよ」

 「今日はどこまで行くんだ?」

 「Ighzraneという町まで」

 すると彼は、驚いたような顔で

 「無茶だ。Ighzraneまで自転車だと10時間かかる。車でも2時間だ」

 と言う。すべてジェスチャーでの会話である。地図を見ると、ここからIghzraneまで35キロほどなので、いくら急な上り道が続いても日が暮れるまでには着くはずだ。しかし彼は「危険だ」という。サムスンの分厚いスマートフォンYoutubeを開き、イノシシが荒野の中を走り回っている動画を見せてくれた。この辺りはイノシシが出没するから危険だというのだろうか。彼は言った。

 「今晩はうちに泊まっていけ」

 私は、それもいいかなと思った。アトラスの家にとどまれば、ベルベル人の伝統的な暮らしを垣間見れるだろう。面白いかもしれない。しかし、一度は彼らの家族に別れの挨拶をして、出発してしまったのだ。そう思うと、いまさら家に戻るのも気が引けた。

 「ありがとう。でも次の町まで行くよ」

 何度か問答を繰り返し、私の決意が固いことを知った兄弟は、近くの民家まで私を連れていき(たぶん彼らの親族なのだろう)、ペットボトルに水を詰めてくれた。そして、パンとビスケットをくれたのだった。私は改めて彼らに礼を言い、自転車を漕ぎ始めた。漕ぎながら、私は考えた。あの2人の自転車は、私のボロの自転車よりさらにボロだった。ブレーキが壊れていて、ただ車輪が回るというだけの乗り物だった。彼らは、あの自転車で遠くまで行くことがあるのだろうか・・・。いや、ないはずだ。道路は一本しかなく、集落は前後10キロ以上ないのだから。彼らは子供のころから、あの自転車でこの一本だけの道を漕ぎまわっていたにちがいなかった。

 Ighzraneには日が沈みきる前に到着した。小さなカフェが2軒あるだけの小さな町だ。そのうちの1軒は、やはり男が10人くらい茶をすすっていて、私が入ると全員から視線を浴びた。しっかりした食事をとりたかったが、ハリラ(ひよこ豆のスープ)しかなく、パンと一緒に食べた。食べていると、外から男が近づいてきて、私を手招きしている。男は警察だと名乗り、「今夜はどこで寝るのか」と尋ねてきた。

 「分からないけど、テントを張ってどこかで野宿します」

 「それは危険だ」

 「どうしてですか?」

 「それはうまく説明できないが・・・」

 男は英語があまり話せず、「デザート(砂漠=荒野)で寝るのは危険だ」と繰り返した。その物言いは、日本の警察のように高圧的ではなく、本気で私のことを心配してくれているらしいことが伝わってくる。

 「15キロ先にここより大きな町がある。今夜はそこで寝るといい」

 「今日はもうそんなに走れません。じきに暗くなりますし。2,3キロ漕いで砂漠にテントを張って寝ます」

 「車で次の町まで行くといい」

 「お金がかかるでしょう」

 「いや、金は払わなくていい」

 しかし、何もそこまでしてもらわなくてもいい。すると、男は考えを変えたようで、「あそこでテントを張るといい」とカフェの向かい側の建物を指さした。2階建ての立派な建物だった。「村の行政機関だから、安全だ」。私は了承した。しかし、実際に行ってみると、男の話は管理人に伝わっていないらしく、テントを張ろうとしたらすげなく断られてしまった。私は諦めて自転車を漕ぎ始めた。道はなだらかな下り道が続いていて、両側にオリーブ畑が広がっている。オリーブ畑には決まって犬がいて、私に向かって激しく吠えたててくる。

 右手に平屋の小学校が見えたので、その裏に回ってテントを張ろうとした。すると、モスクで礼拝を終えた2人の男が近づいてきた。「パスポートを見せてくれないか」という。私は聞いた。「ここはホテルではないのに、パスポートが必要なんですか?」。めったに外国人が訪れることのない村の中で野宿しようとしているのだから、村の者がその素性を確かめようとするのは極めて正当だが、いきなりパスポートを見せろと言われたことに少しムッとしたのだ。英語が通じず、私は素直にパスポートを見せた。2人の男は、念入りにそれを確かめると、「ここで寝るといい」と学校の建物の廊下のようなところに寝場所を指定した。私は、テントを張る場所は無限にあるのだから、なにも指定された場所で寝ることはないと思い、その提案を辞退した。「寒いぞ」という2人の忠告を振り切り、私はさらに自転車を漕ぎ、2キロ先の荒野にテントを張った。私のライトに反応してか、遠くで犬が吠えたてて、それは夜明けまで続いていた。

 ※あとで聞いたところによると、モロッコの小さなコミュニティには「ジョンダメリ」と呼ばれる田舎警察が存在するという。外国人の保護も任務の一つで、最初の男と、あとの2人組もそのジョンダメリの人間だったのだ。私はこの後も何度も彼らの世話になることになる。