モロッコ遊牧民探訪記

遊牧民との生活。ロバとの旅の記録

初めてのモロッコ④峡谷地帯を歩く

 その道を選んでしまったことを、私は後悔していた。なぜなら、それは道ではなく、正確に言うと干上がった川床だったからだ。大きな石がごろごろ転がった砂利道では自転車を漕ぐこともできず、押しながら歩くしかなかった。

 トドラ渓谷を出発した私は、15キロほど北に上ったタムタトゥーシュ村を経て、ダデス渓谷に向かった。普通はいったん山を下りて国道10号線に合流し、別ルートから再び山を上って辿り着くのだが、横着な私は山を横断することにした。グーグルマップを見ると、タムタトゥーシュからダデス渓谷に向かって白い道が表示されている。タムタトゥーシュの宿の青年に「この道は自転車で通れるのか?」と聞くと、イエスの返事。曰く、「俺もこの道を通ってダデス渓谷に行ったことがある」。

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 その「白い道」は舗装こそされていないが、何台もの車の轍がついていた。砂漠でもよく轍を目印に走ったから、何度か目にしてきた「道」の風景ではあった。だが20分もすると、急な坂道となり、砂も粗くなって自転車は漕げなくなった。ほどなくして、これは自動車のための道ではなく、ノマドのための道だということに気付く。岩の隙間には石を積み上げた"家"や、河原にはラクダの毛で作られたのであろう黒いテントが見えたからだ。ノマドにも出くわした。干上がった川床に井戸が掘られていて、ヤギに水を飲ませに来ていたのだ。遠くから写真を撮っていると、父親とみられる中年の男が慌てた様子で駆け寄ってきた。そして、自分の靴を指さして、何かを盛んに訴え始めた。靴はぼろぼろで、底が抜けかけている。おそらく「お前は新しい靴を持っていないか」と聞いているのだろう。あいにく、私の靴はいま履いているものしか持っていない。申し訳ないと思いながら、クッキーを手渡すと、思いのほか喜んでくれた。その間、子どもたち3人は物珍しそうに私のことをじっと見ていた。

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(左)岩の隙間に作られたノマドの家 (右)井戸の周りに集まるヤギたち

 続いて目の前に現れたのは、自分の背丈以上も集めたラクダ草を背負って運ぶ2人の中年女性だった。ラクダ草は、料理を作ったり寒さをしのいだりするための燃料になるのだ。彼女たちの写真を撮りたいと思い、「撮っていいか?」と身振り手振りで伝えた。すると、手を出して「ディルハム」と言う。ディルハム、つまりモロッコ通貨をよこせと言っているのだ。観光客が多いトドラ渓谷では、写真を撮らせる代わりに10DH(約110円)を請求するノマドは少なくなかった。だが、私は金を渡して写真を撮ることに抵抗感があり、また、被写体になることを商売にしてほしくないという勝手な思いもあった。私は財布から日本の5円玉を取り出し、「これで写真を撮っちゃだめかな」と聞いてみた。しかし、彼女たちは頑なに「ディルハム!」と要求する。それならいいと断ると、今度は2ユーロ硬貨(約266円)を見せ、「ディルハムと交換しないか」と聞いてくる。欧州の物好きな観光客が四駆でここまでやって来て、チップとして渡したのだろう。まあ、彼女たちがユーロ硬貨を持っていても使い道がない。10DH硬貨2枚と交換して、その場を離れた。

 やがて道がなくなり、干上がった川床を歩くしか方法がなくなった。車の轍は既になく、日陰には雪が残っていた。日に当たっている場所は暖かいが、陰に入ると極端に寒くなる。草がところどころ生えているだけの峡谷風景に終わりはなさそうに思えた。風はなく、音一つしない・・・。タムタトゥーシュを出発して、もう3時間は経っていた。今さら引き返すわけにもいかない。しかし、グーグルマップの白い道を辿ってきたはずだが、本当にこの川床で合っているのだろうか。私はてっきりグーグルマップで表示される道は車道だと思い込んでいたが、川床も「道」として表示するものだろうか。そう考えると、引き返すべきかもしれないという考えも頭をかすめたが、やはり前に進もうと覚悟を決めた。

 再びノマドの通り道のようなものが現れ、さらに標高を上げながら峠を迎えた。この辺のラクダ草は収穫された後もなく生い茂っており、ノマドも頻繁にはここまで登ってこないのかもしれない。分水嶺を越えると、また川床になった。こちらもやはり干上がっている。相変わらず自転車は漕げそうにない。テントは持っていないが、もしかしたら今宵は野宿せざるをえないかもしれない。パンを持ってくればよかったと思った。

 だが救いはあった。ノマドがここを歩いた痕跡が再び現れ始めたからだ。いつの間にか、川床にはロバの糞が途切れなく落ちていた。しかも、まだ新しい。ということは、やはりこの道はやはりノマドの通り道になっているに違いない。私は歩きつづけながら、ふとサハラ砂漠で迷ってしまったときのことを思い出していた。宿の目の前には大砂丘が広がっていて、私は気がむくと砂丘の中を歩き回った。その際、気をつけることは、自分がどこから歩いてきたのか常に頭に入れておくことだ。砂丘に入ってしまえば、四方を砂の丘に囲まれるから、ひとたび方向感覚を見失えば自分の位置が分からなくなってしまう。高い丘を登ればメルズーガの町まで見渡せるが、砂山を登るのはかなり大変なことであり、軽く1時間はかかってしまう。私は不覚にも、砂丘の中で遭難しかけ、冷や汗をかいたことがあった。だが、運よく砂丘の稜線を歩いているベルベル人を見つけ、事なきを得た。

 そして、私はこの峡谷でも、ついに見たかった光景を目にして、驚きが思わず口に出た。「ノマドや・・・」。川床のずっと向こうに人が3人歩いているのが見えた。急ぎ足で近づいていくと、ロバ2頭にラクダ草を積んで運んでいることが分かった。どこかの山に拾いに行っていたのだろう。やはり、この干上がった川床はノマドの生活路だったのだ。それにしても、と私は思った。もう日が暮れそうだというのに、なんてのんびり歩いているんだろう。私はずっと不安を感じながら歩いていたのに、この人たちは急ぐ様子もなく家に向かって歩いている。あのとき、私はノマドたちに尊敬の眼差しを向けていたと思う。砂丘の中でベルベル人を見つけたときもそうだった。彼らは砂漠に、そしてこの乾燥した峡谷地帯でも、地に足をつけて生きている。彼らが身につけている生きるための根源的な力に、うらやましいなあと思ったのだ。

 そのノマドたちと出会って30分後、私はついにアスファルトの車道に到達した。タムタトゥーシュ村を出発してから、9時間が経っていた。<続く>

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(左)ずっと向こうにノマドが見えた (右)近づくと、草を運んでいることが分かった